加賀乙彦著 不幸な国の幸福論 集英社新書

1. 加賀乙彦氏の作品
 加賀氏は精神医として長い間東京拘置所の医官を務めて来た。多くの終身刑死刑囚、未決囚と接し、さらに、フランスに留学して精神病院勤務を経験した。「死刑囚の記録(中公新書)」では死刑に直面したし多くの囚人が長い拘禁生活から精神を病み、また人格的に変化していることを世に問い、死刑の犯罪抑止効果や、社会的効果に対しても疑問を提示した。「宣告(上下)、永遠の都(全6巻)、ドストエフスキー(中公新書)と読もうと思っている。いずれも、結構読み応えがありそう。「不幸な国の幸福論(集英社新書)」は日本人の幸福感について分析している。氏は戦争、終戦、高度成長、バブル崩壊と停滞の10年、小泉改革と今日の低迷という時代を振り返り、日本人が何故、満ち足ないのかを説明している。秋葉原路上無差別殺人事件の青年が何故生まれたのか。オウム真理教に入るインテリ青年などの社会病理を冒頭に、日本の今日的状況を導いたものを振り返りながら、氏の人生経験と精神医としての立場から述べている。自分自身、還暦過ぎになっても、はっとさせられる指摘がちりばめられている。
 何故日本は幸福感や豊かさを感じないのかは、氏が示した数字に表れている。日本の出産手当て児童手当てなど社会的弱者へのOECD諸国上位24ヶ国で下から2番目。支払った税金と保険料のうちサービスとしてどの位国民に戻っているか社会保障還元率は最低の41%で自己責任のアメリカより10%以上低い。教育の公的支出GDP比はやはり下から2番目。自殺は毎年3万人超で3年に1度日露戦争してるのと同じ。実はこれはインチキ統計で他国は変死者を50%算入しており、実は1位のリトアニアを遥に抜くトップ。年金は現役所得比OECD平均59%に対し34%、しがない老後。医師や看護師は千人あたりは最低、ベッドあたりは更に百位以下。これが国の建設投資となると英米仏独伊カ合計より多い。米国の3倍。散々バラまいたのは棚に上げ今に債務超過が見えている。この構図が、小泉政権でも、今の民主党政権でもなかなか変わらない。しかし、貿易は黒字だ。だから、貿易黒字を続けて来たこれまでの今までの経済政策は日本の豊かさや幸せには結びつかない事なのだ。

 氏はフランスの精神病院で気がついたのだが、フランス人の患者は、自分が他人と同じようになってしまうことに恐怖感を抱く。ところが、日本人は自分が他人とは違っていることを見られていることに怯えて、対人恐怖症になる人が多い。特に、統合失調症の視線恐怖症である。農耕民族的な集団意識が強い日本人は常に他人の眼を意識し、自分と他人、世間の尺度で自分の幸福を定義しようとする。幸福という主観に客観という尺度を入れたとたんに、幸福は遠のいて行く。「日本人は自ら不幸の種まきをし、幸福に背を向ける国民性を有しているのではないか」

2.構成
 加賀乙彦著「不幸な国の幸福論」は4つの章で構成されている。
 第1章「幸福を阻む考え方」で現在の日本で起きている不幸な出来事について、日本人特有の原因があることを取り上げている。社会の変化が個人の人生観にどう関わり影響を与えて来たかについては第2章「不幸増幅装置日本」として論じている。わが国の社会が人々の幸福とは別の方向に進んできたか、主として政策や経済の影響についてである。第3章「幸福はしなやかな生き方に宿る」として生き甲斐を見出す方法とは何か、を若者に向けて述べ、第4章「幸せに生きるための老いと死」について、自分自身の体験に基づいた助言を展開している。後半は二章で語った病んだ日本社会に生きるための処方箋である。
 人間の幸不幸という価値観と日本という特殊な前提条件を語りつくすのは困難な作業だ。そもそも、幸福感というのは極めて主観的な表現だからだ。しかし、加賀氏はこの問題に精神医学の観点から取り組み、何がそうした心の世界をもたらすかを語る。
 加賀乙彦氏が日本を不幸な国という理由は何か。日本は政治の混乱や行政の停滞といった問題はあるものの、戦争は65年の間無かったし、交通事故や殺人なども少ない、安全な社会だと思われる。世界に誇るべき憲法もある。しかし、世界でも自殺者は最も多く、秋葉原無差別殺人など、近年異常な出来事もあり、特に未来を背負うべき若い人が必ずしも幸せとは言えない状況にある事に警鐘を鳴らしている。また、自殺者の多くが老人であることも特徴である。どんな時代にも、どこの社会にも幸不幸は様々な形で存在している。加賀乙彦氏は58歳でカトリックの洗礼を受けたクリスチャンである。クリスチャンは人間を罪深い存在として観察するが、そこからキリストによって希望を与えられたという恵みに生きる事こそ魂の平安と幸福への道であると信じる。しかし、彼は敢えてこの事には触れずに、彼らしい分析と実例によってこの社会における幸福な社会と人生についてのヒントを語る。

3.社会環境と人々の精神状況
 加賀さんは日本人のものの考え方の中にある、自らを不幸にしてしまう傾向を説明している。非正規労働者を使い捨てにする雇用状況や、負け組、勝ち組をあおる世の中の風潮が、秋葉原事件を生んだと言える。しかし、加賀氏は、その青年を追い込んだのは彼自身であるという。彼は次のように述べております。「実際よりも、自分は不細工、生まれながらにして負け組と決めつけた。幸せになりたいと人一倍強く願うのに、もがけばもがく程逆に幸福から遠ざかっていく。だからといって、犯罪までに至ってしまうケースは滅多にありませんが、心を病んだり、自殺願望を抱く人が何と多いことか・・・自分で自分を不幸にしている人たちがいかに多いことか」。今わたくし達の周りには「勝ち組・負け組」「モテ・非モテ」「セレブ」など人間をランク分けする言葉が満ちあふれ、始めは嫌な言葉だと思っても、次第に市民権を得、ごく当たり前の言葉になってしまう。私達は収入や社会的地位、学歴、偏差値など人を見た目ではかるマイナスのレッテルが氾濫した日本人の価値体系に深く捕われている。このことが、我々が自分や他人を思い、深く愛する気持ちを損なっている。この20年間の日本の変化によって、日本人の心がどう変化したかを、様々なケースを示し、説明している。
 経済と政治、福祉や医療についてもこの問題は結びつく。セーフティネットをなおざりにして産業を優先させた日本のつけが、様々な不幸の種となる。しかし、今日の産業社会の行き詰まりという難問に関しては敢えて避けて、個人における不幸を幸福に変える技術という形で考え方の転換を提案している。少子高齢化社会において最も問題の原因となるのが高齢者とそれを支える若者世代だ。今日の日本に不幸をもたらしている問題を指摘する。どんな時代においても、また、いかなる社会や国においても人々は幸せを見出そうとするし、やむなく不幸な状況にも陥る。しかし、不況による失業や病気が多くの人々の不幸を招き、精神を病み、自殺の原因ともなることへの相関性は強い。心の持ち方や日々の生活の仕方で解決できるなら簡単だが、そうはならない。ところが、豊さは必ずしも幸せを保証しない。加賀氏は豊かさが還元されていないという。この本では政治経済の混乱が招いている日本の構造的課題と現実を指摘するにとどめ、これからの政治が進むべき方向を示すが、先は精神医学者である加賀氏はその個人レベルでの処方箋を書いたといえる。
 確かに、国際主義的には世界を見据えて、共通点を求めた対話が求められる。その一方では国家や民族、地理的位置づけによる特殊性を同時に考えなければならない。アフリカの事情と日本とは前提条件が違いすぎる。先進国が達成した課題は南北問題になる。どのような前提をもとに考えるかである。今の日本においては成長経済から持続的経済への移行が目標である。いつまでも資源を消費し環境負荷をもたらす経済成長では未来がもたない。にもかかわらず、成長というと相変わらず箱ものや、輸出中心、自分たちのコミュニティーへの利益誘導を思う人が多い。公共の福祉、人間の幸せは利己心の追求のみによっては達成出来ないからだ。貿易黒字が日本人の豊さを必ずしももたらさなかったことは我々自身学習すべきことである。

4.心の持ち方
 禍福は糾える縄のごとし。人間万事塞翁が馬というのが長い人生を経た人の結論であろうか。 人の役に立ち喜ばれることで得られる喜びはとりわけ深い充実感を私たちにもたらしてくれる。愛の概念である。加賀氏のクリスチャンらしい見方がここに示されている。人間には自分がこの世界に存在していることに意味や価値を見いだしたいという欲求がある。神のご計画中にある愛を知るのは喜びである。まず自分から心を開くということも大切だ。世の中には嫌な相手もいる。しかし、そこで心を閉ざしてしまったら、そこでお終いである。隣人を愛しなさいとは言われても隣人ほど面倒くさい、あるいはむかつく相手はいない。年を取るとこういう事が分かるようになるかというと必ずしもそうではない。近年、キレる老人が増加していることを加賀氏は指摘する。暴走老人 :07年傷害暴行で検挙された老人2946人十年前の8.8倍、年を取ると脳血管障害で感情をコントロールする能力が低下する。老いを受け入れるという事が大切だという。生きがいを高める方法として加賀さんは初めての事に挑戦する事を進める。老人力という言葉もあった。赤瀬川源平が提唱していた。ゆっくり、待つ豊さ。これも高齢者特有。加賀さんが東京拘置所で出会った死刑囚に見える世界だ。死を意識すると時間の密度が上がる。結論は全ての生、全ての死に意味があるという事。
 一つは今の若者に向けて、もう一つはこれから人生の終末を迎える高齢者に対してである。加賀氏は東京拘置所の精神医官の経験から死刑囚と向かい合って、この世界のどん底を見てきた。又、多くの精神を病んだ人を診断しその病理が社会と関わりが深くある事も認識された。日本社会の特有な仕組みや考え方が、いかに人々の不幸に作用しているかを看破する。経済成長がなければ福祉は実現出来ない。福祉に金を使うと、バラまきだと決めてかかる。成長とは何か、誰の為の福祉か?福祉とはいかなる目的を達成し、幸せをもたらすものは何か、を語らずに政策も実行される。福祉とは施設を作れば良いのか。人間の心の世界を忘れた議論が多い。加賀氏は彼なりに結論を出している。幸せになる為の法則である。

5.不幸を招く考え方を転換する
 「幸福を定義しようとしてはいけない。幸福について誰かがした定義をそのまま鵜呑みにしてはいけない。」「幸福とはこういうものだと考えたとたん、その定義と自分の状態とを引き、何らかのマイナス見つけ出してしまう傾向が私達人間にはある」という。社会科学的な統計や説明は政策決定の資料にはなるが、個々人の救われない気持ちを癒すことも説明することも出来ない。加賀さんはあくまでも精神科医として悩みをもつ個人に向かい合っている。死において、また、我々が運命に翻弄され、また、艱難の中にあるとき、最も恐れる事は、我々が罪の中にあるということである。加賀乙彦氏が死刑囚と交流したときに、最も彼らがつらいのは、罪の中にあって死を迎えなければならないということであったいう。これ以上の人生の屈辱はないというのである。イエスキリストに思いを寄せるならば、その愛として罪から我々を開放してくださったイエスキリストが私達と共にあることを感じ、どんな権威も、高いものも低いものも、我々を引き離す事はできないとパウロはローマ人への手紙8章で語っている。教会員一人一人に対して我々が苦しみを互いに担う力があるのか。共に福音に預かり、主を賛美する群として、何処まで互いにかかわり合うのか。主の導きの恵みを共にしながら教会生活をどのように送ることが出来るか。結構難しい問題だ。                
                                         (完)

 

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by katoujun2549 | 2010-04-15 12:34 | 書評 | Comments(0)