大審問官スターリン.......暗殺のメロディ

大審問官スターリン 亀山郁夫著 小学館

 東京外国語大学学長、亀山郁夫先生のドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」は異例のヒットとなった。ロシア文学における旧ソ連のロシア革命時代に花開いた芸術、ロシアアバンギャルドについては先生の右に出る者はいない。氏の波長の長い、膨大なロシア芸術の知見が基盤になっており、無数の芸術家、革命家の名前が出てくるので予備知識の無い自分はこれに付いて行くのが大変だ。この本はスターリン独裁支配時代に押しつぶされた、ロシア革命時代の芸術家、そして、スターリンの恐怖支配についてロシア文学者の眼から様々な推論を重ねた傑作である。自分が高校生の頃は、世界史授業はロシア革命のところで終わっており、その後の第二次世界大戦の所までは講義されていなかったし、評価の定まらない第二次世界大戦のことは大学受験にも出なかったから、あまり勉強していない。ソルジェニーツィン『収容所群島』に当時の共産主義の猛威は暴露されたが、当時の左翼的な思想を持っていた歴史教師達はどんな情報をもっていたのか。ペレストロイカまで、こうした革命政権内部のスターリンの行状は、世界には発信されていなかったのだろう。だから、ロシア関係の学者の知識が、ソビエト崩壊前と後では全く違う。後の時代を基盤にしたロシア研究の世界はフロンティアとなったのだと思う。
 
 スターリンはかつて帝政ロシア時代に革命側に対するスパイを働いていた。この過去が、オフラナファイルという帝政ロシア秘密警察の資料に残されており、ジュガーシュビリという名前で、写真も残されていた。これが本名でスターリンはペンネームだ。資料は革命政権内部の権力闘争に活用され、多くの革命功労者が消えて行った。弾圧機関、チェーカーのジェルジンスキー、オ・ゲペウの幹部達をも粛清して行く。レオントロッキーを執拗に追廻し、暗殺に成功するのもそうした恐怖感から来ている。この情報を持つ人物は革命の同志であろうと、カーメネフよのような政府内部の要人であろうと容赦なかった。ヒトラーはユダヤ人や特定の敵に徹底した迫害と虐殺を行ったが、スターリンは殆どが、共産党内部とその国民に対してであり、さらには周辺民族も含まれた。規模においてもドイツより遥かに大きい。スターリンの伝記は数多く出ているが、その思想や、政治的批判は数多い。しかし、それでも、ヒトラー程は多く無い。ソビエト崩壊前の情報には虚偽があり、ペレストロイカ以降でなければ信頼できる内容のものが無い。図書館でも関係図書は少ないように感じた。スターリンの個人的な性癖や、具体的な指令にもとづく粛正の真実の全貌が、そのあまりにも膨大、巨大さ故に整理するのが困難なのだろう。スターリンはグルジア人であったから、ロシア人の扱いには情け容赦なかった。異民族に対するスターリンの政策は、全く人間扱いではない。ユダヤ人、ポーランド人、ロシア人、コサック等、とにかく、ヒトラー以上の大虐殺を行っていた。かつての共産主義者達や共産党はこの事実をどう評価しているのだろうか。敗戦国ドイツと違い、スターリンの資料は加工されたものばかりであった。旧ソ連は戦勝国であり、また、東西冷戦という状況下、フルシチョフのスターリン批判ですら、アメリカにはイスラエルの諜報機関経由で伝わったほどであった。

 パラノイア(偏執病)の持病を持っていたスターリンを最初に診断した医師は当然の事のように暗殺されている。ドイツでヒトラーが同じようにユダヤ人に対する攻撃性に表れたような、一種のパラノイアとヒステリーの病的な混合症状であったことと対比すると、第二次世界大戦は、精神病を抱えた指導者を軸に膨大な犠牲者を出した戦争であった。スターリンは自分がグルジア人であることと、かつて帝政ロシアと通じていたことに強いコンプレックスを抱き、このことを隠すために、ソビエト政権内部のテロ、粛正、さらに、これに触れた芸術家達を抹殺していった。スターリンは映画や詩、小説といった芸術に注意を怠らなかった。そして、マヤコフスキー、エイゼンシュタイン、ショスタコービッチ、ゴーリキーといった芸術家の生殺与奪を握り、まさに、カラマーゾフの兄弟に出てくる大審問官のごとく手の平の上で裁いて行く。芸術家達はそうした状況の中で、二枚舌を使いながら自分の芸術感性を賢明に守ろうとする。ゴーリキーは、ロシア的な天真爛漫な小説家でスターリン好みだったが、彼の二枚舌に気付くと、スターリンは彼を病気治療の名目で暗殺する。しかし、スターリンの芸術家に対する弾圧は、政治家や軍部に対する程ではなかった。生き延びた人々は遥かに多い。

 こうした論拠は、亀山氏の文学者としての鋭い推論を基盤にしており、彼ならではの、これまで全く気づかなかった新しい視点を我々に与えてくれる。とはいえ、この本はあくまでも文学論であって、何も、政治史として、粛清を研究したわけではない。この問題をとりあげるには芸術家に焦点をあてると、実態がぼやけてしまうのではないだろうか。2000万人以上という説もあり、独ソ戦での死者より多く、あまりにも多くの犠牲者がこの世から消えた。スターリンが秘密を知られたくなかった人ばかりではなかった。多くの政府内部の処刑者はスターリン信奉者であり、その惨禍は家族にも及んだ。この仕組みの中に参加する事で自分の身の安全を図ろうとして、実行者や密告者になった人々が多くいたのだ。ナチス以上の殺人システムが無ければ到底出来ない数である。ロシアでは、突然、ある町の郊外で30万人の人骨が発見されたりしている。かつての死体処理場が今は都市の住宅の下にあったり、場所が不明で実証的な裏付けが取れないし、様々な裁判や処刑記録が隠蔽されているからである。スターリン死後断罪されたのは、ベリアとその周辺にとどまり、モロトフやマレンコフなど、多くは80才以上の天寿を全うしているのである。フルシチョフもミコヤンも加担者の一人であったのである。
下の写真は帝政ロシアの秘密警察のファイルにあったジュガシビリ(スターリンの本名)の資料である。これを知られたく無かったスターリンは多くの要人を粛清した。
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by katoujun2549 | 2010-03-27 11:49 | 書評 | Comments(0)