日本と中近東

 日本と中近東はもっぱら石油との関係で成立して来た。日本は石油資源100%海外に依存しているが、そのの87%を中東諸国から輸入している。新日本石油などが、新たな資源を求めて、油田開発をイラクなどに求めている。しかし、石油資源が有限であることへの危機感は資源国が一番大きく自国資源の保全に入っている。イランはそのために原子力発電を中心に新エネルギーへの具体的な技術開発を推進してきた。特に、ウランの濃縮に関しては、核兵器の開発と保有につながる事であり、IAEAの厳しい関心事となって来た。核の平和利用と軍事転用は裏と表の関係だ。また、今日、イラク、アフガニスタン、パキスタン、さらにはパレスチナは軍事紛争を中心に国際政治の大きな課題を世界各国に投げかけ、特に米英、EU諸国はパキスタンやイラクへの派兵を行い、重大な国民の関心事でもある。我が国も、アフガニスタンに対する支援問題は今後、米軍の普天間問題とも併せて、国会の議論対象である。ドバイの建設ラッシュや高須クリニックの宣伝などに表されたオイルマネーによるアラブ諸国の繁栄は、我が国のバブル経験をもとにマスコミには冷ややかな、やっかみ半分のニュースしか流れてこなかった。だが、リーマンショック以来懸念された経済崩壊は、カタールなどアラブ世界の資金支援などで沈静化しつつあり、予想外の結果である。

 ところが、これ以外の中東に対する、歴史認識、芸術文化、生活と社会、さらに重要な要素である宗教に関しては情報が限られる。イスラムの教えが一体どの様なものであるか、話せる人は極めて少ないであろう。イスラムにスンニー派とシーア派が存在し、それぞれが政治的、社会的に分立し、多くの紛争の種になっている事はニュースでは分る。しかし、一歩踏み込んで、その内容に関した情報を集めるのは容易ではない。民衆の生活、所得、医療、情報源としてのメディアなど、言葉の障壁は高く情報は来ない。湾岸戦争の時のアルジャジーラニュースはその時限りだ。欧米諸国と比べ、この情報格差は、結果的には中東に対する日本のプレゼンスを低下させ、資源のみならず、様々な産業面での逸失利益は計り知れない。特に、ペトロマネー(オイルマネー)の日本軽視は我が国の証券市場に致命的な悪影響をもたらしている。オイルマネーの恩恵の結果、湾岸諸国、サウジアラビアなどの国民一人当たりの実質GDPは出稼ぎ労働者を除外すると我が国の15倍という試算もある。彼らの富は日本に向かっていないのである。ソブリンファンドの対象は、中国、インドに向いており、日本は減少傾向が続いて来たからである。

 さらに、イスラエルとパレスチナ問題に関しては、日本は石油を支配する中東諸国に接近するあまり、金融とマスコミを握るユダヤ人に対しては、一方的な情報によって、国際金融における我が国の存在感を失うリスクを背負っていると言えよう。こうした問題に関して、日本からの情報発信も国際的には貧弱であって、イスラム勢力からも、欧米勢力(ユダヤ勢力)からも頼りない立場である。こうした問題に対しては、中近東の社会と、芸術、文化に対する理解から、人的交流、輸出入文物の拡大が次に進むという手順を取ることが安定的な関係を築くことになる。これは、常識的な手順であり、これが逆になっている事が、失敗の原因であることが想像に難くない。

 我が国で中東の文化がどれだけ親しみのあるものになっているだろうか。これだけ中東との関係が重要であるのに、その人的な結びつきの無さが、結局全て政治に依存し、乏しい情報の中での国際政治の変動に振り回されているのである。日本の現地外交官の目は自国の方向に向いており、彼らは数年で帰国してしまう。これが反対に、人的な結びつきが強くなり、また、日本が中東文化の良き理解者であるならば、多くのパイプができ、政治情勢に振り回されず、また、冷静な情勢分析が可能になる筈である。ヨーロッパにおいて、中東の文化は極めて長い歴史の中で受け入れられて来た。トルコとオーストリアとの2度の戦争やオスマントルコとの覇権争い、さらにはイギリスのパレスチナ支配、3B政策を取るドイツ、レバノンを支配したフランスなどの領土分割等、長い歴史を過去に持つヨーロッパと殆どイスラム世界とは無関係であった日本との差は埋めがたいものがある。今日も、ドイツはトルコからの多くの移住労働者、また、EUは多くのイスラム圏労働者を抱え、頭痛の種にもなって来た。そうした中で、彼らの文化への理解、さらには研究の厚みも蓄積されている。現実的な問題を抱えていることが、言語も含め、政治的な関係を下支えしていることは明らかである。これは湾岸戦争やイラク侵攻におけるアメリカとヨーロッパ諸国の取り組み方の差にもなっている。
  
 身近なエピソードではクロワッサンはトルコのウィーン包囲を退けた時に作られた三日月形パンが起源だし、コーヒーの嗜好やカフェもトルコ軍の放棄物資のコーヒー豆から始まった。産業革命におけるイスラム諸国とのヨーロッパは比較優位を得てイスラムを支配下にしようという帝国主義政策に出た。そこで流入したペルシャ絨毯は欧米の建築には不可欠であるが、19世紀の欧州中東支配から多くが輸入され始めたのである。文化面でのイスラムの様々な刺激がヨーロッパに降り注いだ。千夜一夜物語を翻訳したのはイギリス人バートンである。さらに古くはアラベスク模様、あるいは十字軍やルネッサンスの時代に再認識されたギリシャ哲学や医療知識、錬金術から発した化学などもイスラムとの結びつきから彼らが得たものであって、既にヨーロッパ文明の基盤となしているものも多いのである。
 
 我国においてアラビア語やヘブライ語、トルコやイランの言語をどれだけの人が知っているだろうか。イラクの楔形文字解読、遺跡の発掘は殆どドイツやフランス、イギリスの学者によってなされた。ベルリンのペルガモン博物館にはバビロンのイシュタール門がそのまま移設されている。文化の理解において相手の言語を学ぶ事は必須である。特に、東京外語大学や大阪外国語大学がアジア研究の核となっていることもあり、そうした学術関係者の知見は貴重である。我が国のイスラム研究では大川周明の研究が有名であり、コーランも翻訳されているが、一般には読まれていない。我が国で中東の文化をどのように理解し、彼らとの良き関係に資する事が出来るのか、多くの知識人や政策担当者の認識の深化を今日程必要としている事は無いであろう。先は、彼らの基盤である、コーラン、音楽、建築、衣食住、欧州に受け入れられた中東文化などを調査する意味は大いにあるだろう。既に長い間総合商社などが人脈を持っているだろうが、小生の友人も含め、彼らは数年で異動してしまい、本当のパイプは専門職に依存しており、企業としての関係は予想以下のものと懸念している。彼らと人的関係を続けているケースは思いのほか少ないのではないだろうか。この日本の中東文化の浸透が殆ど見られない中、シルクロードなどが数少ない文化的関心と結びつきとなっている。彼らのどの部分を我が国が吸収したり、彼らとの交流の良き礎を求める作業を進めて行く事だと思う。トルコやイランは極めて国民感情としては親日であるが、残念な事に片思いとなっている。こうした状況の打破と自らの世界認識の機会を得るために研究会を設け、より良い中東との関係を築く縁としたいものである。
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by katoujun2549 | 2010-03-03 18:31 | 国際政治 | Comments(0)