エントロピーの法則 ジェレミー・リフキン

エントロピーの法則 21世紀の生存原理 ジェレミー・リフキン著 竹内均訳

 熱力学第1法則 宇宙における全エネルギーの総和は一定、第二法則 全ネネルギーは絶えず増大する。この第二法則がエネルギーを使用すればするほど、そのエネルギーはより質の低いエネルギーへと変換されていき、ついには使用できなくなる。地球上では、物質エネルギーは絶えず増大し、いつか必ず最大化する時が来る。我々の地球は閉ざされた空間であるが、宇宙から様々な飛来物がある。しかし、リフキンは、物質においては閉ざされた系であるとする。その地球において、単純なものから複雑なものへ、限りなく進化するという事はあり得ない。また、偶然で出来るものには限界がある。海辺の砂では波の力でいくら偶然でも複雑なものは出来ない。
 生命の最小構造であるゲノムは偶然にできるものだろうか。自然淘汰というようなシンプルな理屈で説明できるだろうか。ゲノムという複雑な体系が偶然によって出来る確率はどのくらいだろうか。仮に、1000年に一度何かの変異で、塩基が結合する機会があったとすると、これが転写能力を得て、さらにmRNAを形成し、たんぱく質を形成する能力を獲得するだけでも、途方も無い時間がかかるだろう。いや、地球の環境に影響を与える変異、小惑星の衝突などが発生するのは確率的に1万年に一度かもしれない。これらの構造が10万回の合成変異過程を繰り返したとして10億年でセントラルドグマの仕組みが生まれるかどうかである。45億年前に地球が誕生した時点から塩基がアミノ酸を形成して、転写能力を得たとしてもさらにたんぱく質を合成し、これから細胞膜などの形を作るのにさらに何十億年もかかるだろう。これらは全て偶然によって行われるとすれば、10億年かけても単細胞生物ひとつ出来るとは思えない。前カンブリア紀で原核生物ができるまで、20億年、さらにカンブリア紀から5億年程度で偶然の積み重ねで人類が生まれるものだろうか。自分勝手な説だが、宇宙的な時間とともに地球外から様々な物質が降り注ぐ。ウイルスのような形で物質が結合離反を繰り返しながらゲノムやそれ以外の場に応じた真核細胞だけではなく、原核細胞、さらにはたんぱく質が生命の身体を同時進行的に形成するようになったと考える方が自然な感じはする。

 エントロピー(無秩序)の法則は、進化論には全く不利であり、進化論を完全に否定するものある。なぜならエントロピーの法則は、「無生物から生物への進化」を、全く不可能とするからです。リフキンに言わせると、遺伝子工学時代の現代において、かつてのダーウィンによる種の進化は、説明しきれなくなってきた。種の進化はどのように説明されるのか。かつて真理とされた進化論は新たな局面を迎え、21世紀を生命工学の時代として、自然淘汰では説明できない事象があまりにも多い。というより、彼は科学理論はその社会状況の反映であって、それが社会からどのように受け入れられるかが重要だとしている。

 ダーウィンの言いたかった事は、人間を進歩させるのは競争であり、この精神を高める事によって幸福が得られると思ったのである。このことが、種の起原にしても様々な批判と攻撃の対象となったが、実際には20世紀の社会を導く原理として受け入れられた。経済においては、市場原理の一環として、競争原理が善であるとすることは今も変わっていない。しかし、科学としては生命の発生、ゲノム以外の生物発生上の要因、PS細胞などの新たな知見から、自然選択説は耐えられる理論ではないとする。どんな生物も体内時計を持っており、そこから未来を予測し、時間のプログラムの中で対応する。この構造を導く精神を宇宙の法則として、「万物を見通し統合し組織するものこそ宇宙であり、」精神に導かれて進化は起きるとしている。これは精神とか、宇宙を神とすると、まさにインテリジェントデザインの変形である。

 今日、生命の進化の原因が、自然淘汰であるという説は否定されているのだろうか。また、リフキンに言わせると、ド・フリースの突然変異説、ラマルクの要不要説、新ダーウィニズム、ヘッケルの系統発生説も現代のゲノム、生命工学時代には耐えられないという。21世紀文明の生存原理として「場」の原理と「時間」概念を核に生物を不確定性原理で説明する「時間進化論」とコンピューターのプログラム原理であるサイバネティックスを中心に論理を展開している。しかし、今日この説が取りざたされた形跡は無い。この本は1983年に出版されたもので、当時と比べると、遺伝子工学やコンピューターの進化はすざましく、サイバネティックスと時間進化論もいまでは話題にならないのだろう。

 リフキンは進化論者ドーキンスとは対照的である。彼はアメリカの創造論者には歓迎されたであろう。かれの提示している平衡説は今日主流になているが、自然淘汰説とは矛盾しないとされている。進化速度が一定ではなく、比較的短時間(と言っても数千年から数万年程度)に急速に進化が起こり、そのあと長い停滞期があるという「断続平衡説」は、古生物学者のグールドとエルドリッジによって提唱された。化石の記録に見られるギャップは、記録が不完全だからではなく、進化は地質学的な尺度からは極めて短時間に起こることに由来する。

 自然淘汰説を否定するために、時間と生命進化に対する関係を明らかにしようとするが、その考えは実証性の無い、諸説を寄せ集めた仮定にすぎない。ゲノムの影響とともに、場の概念、さらには我々の認識力の限界と精神や意志が進化を導くという不思議な理論を展開するが、その科学的な証明は特定の事象しか分からない。このあたりはインテリジェントデザインの考えに結果的には結びつく。精神を神の設計図と置き換えれば同じになってしまう。科学と信仰を対立させる事自体が間違いではないだろうか。

(参考)
<断続平衡説>を進化論の攻撃手段にするのは間違いである。
「インテリジェント・デザイン」という考え方は、「地球上の生命は知性ある存在(インテリジェント・エイジェンと)によって意図的に企画(デザイン)されたものである」という考え方です。これは、科学の限界性を逆手にとって議論で、科学で証明できないことがたくさんあるのは、その背後になんらかの創造主の意図が働いているからだと考えるのです。こうした考え方は正統派科学者から相手にされていません。しかし、インテリジェンス・デザインの考え方は、従来の宗教過剰の創造論と一線を画すことで、一部の人の支持を得ています。

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by katoujun2549 | 2010-02-11 21:22 | 書評 | Comments(0)