かあべい
書生「山崎君」ー浅野がインテリ青年を演じているが、知性を感じないし、まるで明治の壮士みたいな長髪だ。昔の写真では戦中、若い人は皆丸坊主だった。毎日米の飯を食べているのに驚いた。子供は大抵青い鼻垂れ(今は全く見ない)で汚かった。鶴瓶は好演で、金が大好きな伯父さんに好感が持てた。あの長女は鶴瓶を嫌っていたが、全シーン気難しく、とにかく性格が悪い印象しか無い。泣き顔が全くいらつくぐらい見事だ。YV小公女セーラ役でも出ていたが、周囲の虐め役の方が皆可愛いかったのを思い出した。けなしてばかりだが、良かったところもある。昔の隣組のおっさんとか、母子家庭にやさしい、温かみのある地域社会が良く描かれていた。今の日本人が失った部分だ。
脚本家は黒澤明の脚本を担当した方だそうだが、全く台詞が現代感覚。名優達の熱演をちぐはぐにした責任はここにある。脚本家の体験実話がもとだが、実際にはその父親は獄死していない。転向を上申して釈放された。だから、その通りに書けば良かったのではないか。その方がリアルだ。あの暗かった時代を明るい家庭を守ろうという「かあべい」を描こうとして、全く明るい時代になってしまった。やたら憲兵とか、警官が威張っている。横浜事件という当時の弾圧逮捕による投獄は無実の人々が多く、その裁判の不当性が問題になっており、2月4日に戦後65年経って無罪の判決が言い渡された。
鶴瓶が街頭で「贅沢はすてきだ」と叫ぶんで警官に捕まるシーンがあったが、あれは東京の「贅沢は敵だ」という看板にいたずらでスを入れた有名な逸話で、あんな事を街で叫ぶ事が出来ないような暗い雰囲気だった事が問題なのだ。くさい台詞だ。拘置所で尋問する検事が「とおべい」のドイツ語の教え子という設定だが、東大の教授とその教え子という設定。当時ドイツ語は高等学校で勉強し、高文を受ける学生は大学では法律の勉強に集中していた筈。ということは高等学校の教授ということになる。戦争を聖戦と書けとか、自分を名前で読んだと言って、怒鳴りつける検事は東大卒なんだろうが、あんなに馬鹿ではない。
軍人が出てこない。治安維持法で逮捕された父「とおべい」がどんな思想を持っていたかも分からない。あの程度で治安維持法で獄死とは考えられない。獄中だから当然かもしれないが、カントとか、ニーチェというのは普通だ。ナチスドイツよりひどい感じだ。音楽がまるでだめ。かあべいが代用教員をやっている学校の小学唱歌ばかりでムードがでないのも原因だろう。
小学生の母親から臨終までを演じた吉永小百合は熱演だった。いや、皆熱演だった。山田洋次監督をして、この程度になってしまう日本映画の実力とは?「おくりびと」を作った同じ日本の映画とは思えない。吉永小百合を婆さんにして臨終させた監督の実力には脱帽したが、ファンとしては許せない作品だ。どうせ死ぬなら、空襲か戦後の栄養失調で昇天させてほしかった。吉永小百合は永遠のスターであって必ずしも演技派ではないことが良くわかった。吉永小百合の「母べい」としてメモリアル作品である。