ヒトラーの秘密図書館

ヒトラーの秘密図書館  ティモシー・ライバック著

 ヒトラーが超越した読書家だったことは知られている。彼の2万冊以上にわたる蔵書はソ連軍や米軍に持ち去られ、散逸した。ところが、アメリカのブラウン大学図書館に約1200冊が保管されており、その内容が、ヒットラーが愛読していたものなど、密度の濃いものであった。 人の精神の軌跡は読んだ本で分かるという。ヒトラーが画家志望であった時代から第一次世界大戦に従軍した時に読んだ本ーベルリン、ブリュッセルの観光案内からはじまり、我が闘争を執筆したときのもの、反ユダヤ思想を形成した時代、オカルトに凝ったころ、総統就任時代、最後は大戦末期に地下総統本部で読んでいたフリードリッヒ大王伝等、どのような内容を彼が政治に反映させたかが語られている。本書はそうした著作やその書き込み、傍線などから、彼の思想形成の遍歴を探るものである。また合衆国連邦議会図書館などにも「我が闘争」の初版本等初期のヒトラー蔵書が存在する。中には書き込みや線が引かれたものもありあり、彼の思想形成を辿る事が出来る貴重なものである。ヒットラーは特にユダヤ人に対しては偏執狂的な狂気を持った人物と思われるが、同時に、彼を後援したエッカートやH.フォード、グラント著「偉大な人種の消滅」の本の影響を受けた思想性の高い政治活動であった。また、当時のドイツ人の気風を反映したものであることが明らかにされる。この本をヒトラーはバイブルと言って著者に賛辞を送っている。ヒトラーの人種政策が、当時黄禍論に揺れ、優生学や人種差別に大きく振れたアメリカ人、独断と偏見に満ちたグラントに源を発していた。1933年以降ヒトラーが独裁体制に入る頃、レーマンの贈呈したラガルドのドイツ論を丹念に読んでおり、既におなじみの攻撃的な民族主義の形が出来ていたことがわかる。これらの読書が、政権を取った後のナチスの政策に見事に反映されたのである。

 彼の青い目に見入られるとその魅力に取り付かれるという。これは、よく、精神病院などで、医師や看護師すら、精神病患者に取り込まれる、独特の雰囲気だ。彼が狂っていたとはいえ責任能力はあったから免罪にはならないが、それだけに異常なまでに卓越した記憶力で膨大な情報を処理する能力があった事も確かだ。優秀だからといって歴史に良い結果を残せる訳ではないし、かえって幸福とは無縁だが、当時のナチスの首脳はゲッペルス、ボルマン、ゲーリングなど知能指数が高かったことが知られている。ヒトラーは一日1冊こなす程の読書家で、最後に愛読していたのはゲッペルスに贈呈されたフリードリッヒ大王伝だったという。最後のベルリンでもフリードリッヒ大王の奇跡的逆転を夢見ていた。彼は学齢が無かったため、学問の国ドイツの学者に対して猛烈な競争心とコンンプレックスを抱いていた。学歴の無い創業者にはそうしたコンプレックスを学識への情熱に昇華させ、猛烈な読書欲を持った人が時々いる。関学の教授をしていた小生の叔父が松下幸之助の書斎を見てその蔵書の幅の広さとスケールに驚いていたのを思い出した。ヒトラーの読書傾向も同様、バーナードショウとシラーを比較した独特の理論を展開し、ゲッペルスをして「この男は天才だ」と言わしめた。軍事に関しては、特に戦車に大きな関心を寄せ、当時の軍事のエリートである参謀達を凌駕する知識を持っていた。しかしながら、彼は、スターリングラードの敗北以降は全く意欲を失い、彼の主張する作戦はかえって軍を混乱させた。独裁者による統治の限界が分かるが、一人の人間のエネルギーの凄みを感じさせるものでもある。
 
 ナチスの思想的背景となったのは国歌社会主義の理念に通じる、フィヒテ、ニーチェ、ショーペンハウエルであった。しかし、ヒトラーがこうした思想書から影響を受けたり、これらの哲学者に心酔した形跡は無かったようだ。哲学者の言葉を演説に引用したり、俗物根性を隠すために、これらを読むふりをしていたようだ。それよりも彼の偏見を増幅させるようなえせ科学の人種論とか、ナチス御用出版社から送られた図書、特に「ドイツ民族の人種的類型学」といった本である。H.S.チェンバレン、リヒャルト・ワーグナーー芸術家、思想家、政治家としてのドイツ人、A.M.ファン・デン・ブルックの第三帝国にも影響された。 彼はドイツの思想家、カント、ヘーゲル、ニーチェなどの古典をどの程度きちんと読んでいたのかは良くわからない。むしろ、こうした本をきちんと読むのはあまり好まなかったのではないか。彼自身の偏屈な理論を強化する材料にならないものは、適当に読み飛ばしていたのではないだろうか。それよりも彼が熱心に読んでいたのは軍事関係の本で、シュリーフェンの著書にはいたくご執心だった。彼の軍事関連の蔵書は7000冊にも及び、特に年鑑のようなものは常時読んでいて、戦争初期の参謀との議論においてその知識をひけらかしては軍の首脳を悩ませていた。かれは膨大な知識はあったが、残念ながら戦略を実行する際のリスクの取り方、指揮を取る厳しい訓練などは分からなかった。彼の伍長としての見識を振り回すことは参謀達には障害となった。だから、初期においてもダンケルクの撤退を許すなど決定的なチャンスを逃している。ハルダーら参謀達はヒトラーの意見を無視する事が多かった。彼の命令は本による知識が多く、それらは敵も読んでおり、作戦には危険だったということもある。ただ、初期の段階では、ヒトラーの理論を越えた決断は相手の意表をついたし、彼の博打的な判断が結果的に成功した事から、彼の主張も通ったが、スターリグラード以降は無能力状態だった。ヒトラーは最後まで参謀達の決断には不満を持ち続けた。1944年のシュタウフェンベルグ等の暗殺未遂事件以降、参謀の体制は崩壊し、一気に破滅の道を辿るのである。
 ヒトラーを特徴づけるのは、彼の思想や政治家としての実像、国家社会主義ではない。彼のような思想を持った人は当時たくさんいたのだ。子供達からはヒットラー伯父さんと優しい人柄の側面も見せた普通の人が突如として残忍な殺人者になるということである。ヒムラー、ハイドリッヒのような人物が周囲に沢山いたのは彼の人格の反映である。どんな読書もかれの精神を高める事が出来なかった。彼は権力と恐怖を人に与えるために膨大な軍事図書を読み、その知力は噓や詭弁のために使われたのである。
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by katoujun2549 | 2010-01-28 10:17 | 書評 | Comments(0)