ヒトラーの経済政策

1.ヒトラーの経済政策 武田和弘著 祥伝社新書

 戦前ドイツ、ナチス時代の経済政策は、その結末が破滅的であった故に封印されてしまった。ドイツ国民を熱狂させる何かがあったからこそナチスは強圧的な政治も行うことができた。階級的社会であり、古い支配階級の多いヨーロッパの閉塞感を打破し、ドイツは世界を破壊するまでの活力を得た。その部分に光を当てたのが、「ヒトラーの経済政策 武田和弘著 祥伝社新書」である。これまで、専門書以外はドイツ側の政策の優れた点をあげた内容の物は少なかった。ほとんどがナチスの無謀と強圧的な政策の悲劇、軍事的失敗、ユダヤ人の絶滅政策を描いたものである。ナチの経済政策は一言で言えば借金財政である。その少子化対策やオリンピック等は見事である。軍備増強から開戦になると破滅するのは帝国銀行総裁シャハトには分かっていた。大衆の人気を得るために大判振る舞いをして結局、その返済に困って押し込み強盗になって破滅したようなものである。Adam Tooze著『The Wages of Destruction』(2006年)に詳しいというblog記事があったのでいつか読んでみたい。

2.ヒトラーの巧みな民心掌握

 ところが、史上最悪の政治家と言われるヒトラーだが、彼が政権を取り、国民を戦争に導くまでの彼の政策には実に示唆に富んだものが多い。民心を把握しなければあのような大規模な軍事侵攻も、ドイツを見舞った失業者の群と不況からの脱出は無かった。ところが、その政策の中にあった、自給自足、ドイツ生存圏の地政学的思想、超国家主義、民族主義は自らを崩壊させた。一時的な繁栄に至った軌跡の中には、現代の社会を予言するようなものが満ちている。1933年に政権を取ったときの第1次4カ年計画において、ドイツの失業問題解消、福祉事業とアウトバーン等のインフラの整備にヒトラーは力を注いだ。軍事支出は38年に急増し、42年にイギリスを追い越すまでは財政政策の重点は労働者のための国民の格差解消のための政策を行っていた。中高年の優先雇用、大規模店舗の規制による商店街の小売店保護、中小企業に対する信用保証による融資制度の充実などをきめ細かく行った。農家の保護も積極的に行った。特に、作物の価格変動に弱い弱小農家の保護を債務の肩代わりを行い、ドイツの38%の農地は世襲となって食料生産基盤を確保した。中高年優先雇用によって職を失った若者は毎年10万人が半年間援農に行き、給料も出た。ヒトラーの経済政策を支えたのは、ドイツの超インフレを抑えた財政の達人、シャハトであった。

3.シャハトの経済政策

 ナチスの指導部は実は全くの経済音痴でシロオトだった。そこでヒトラーはインフレ対策に功績のあった彼に全てを任せたのである。ヒトラーは自己の金銭には無欲で、自分にかかる費用は愛人の小遣いもボルマンが握っていたくらいであった。ヒトラーは経済は分からなかったが、計算能力には長けていた。オリンピックスタジアムの予算は2.8千万マルクだったものを7千7百万マルクに増やしたが、しっかり5億マルクの外貨を稼いだ。アウトバーンの建設で20億マルクかかってもそれが5億マルクの失業対策費の減額になることを見越す直感的な計算能力があった。ゲッペルスを使ったPR作戦、テレビや映画など現代につながる技術の開発を行い大衆を味方に付けた。これまでブルジョワや貴族の特権だった旅行を大衆化し、今のパック旅行の元祖として歓喜力行団という団体旅行を編成し、専用の客船を多く建造した。タバコの害につていはドイツはいち早く気がつき、親衛隊や総統の官邸は禁煙を命じた。シャハトは金の保有量の少ないドイツの財政を様々な債券の発行で補った。企業の労働力を担保に労働手形を創設、納税の代わりになる租税債、軍事債であるメフォ社債(年利4%)、1933年に創設したニュープランと言われる貿易代金清算方式である。帝国銀行が全て決済するもので、旅行者用には旅行マルク、ドイツの投資やドイツ商品の購入にはレジスターマルク、ドイツ国内の人や党の支援にはアスキマルクと行った具合に金のないドイツは外貨の代わりに特別マルクを発行して対応した。このさじ加減をシャハトが巧みに操作し、対外債務も強引に削減する事に成功した。しかも、財政の大型出動に対して、インフレが起きなかった。これはナチスの市場統制の力が働いたのである。シャハトはナチスの統制力を経済にも利用した。貿易の収支均衡に務めた。「もし、ドイツがこのまま輸入をせずに輸出ばかりを続けていれば国内に流通するマルクは増え続け、物は増えないために物価は高騰してしまう」と貿易黒字の危険性を主張していた。今の日本が学ぶ事はまだあるのだ。ナチスの経済政策のみならず、文化や製造業の20世紀の課題を全て提示したといってよい。

4.巧みな財政と産業政策

 ドイツの兵器産業は輸出産業でもあった。輸出の代金は債権で払い、これを帝国銀行が換金する仕組みを採った。ヒトラーの最終目標はベルリンを世界首都にする都市改造であった。敗戦直前には現代のミサイルやジェット戦闘機の原型も作り上げた。原子爆弾ももとはと言えばカイザーウィルヘルム研究所で核分裂が発見された事から出発している。アインシュタインなどの科学者がユダヤ人だったために、多くがアメリカに渡り、マンハッタン計画はこのときの人の利を得て成功した。石炭の液化は戦時には350万tで天然石油より多かった。これは流石に採算が合わなかったため、コーカサスの油田を狙い、スターリングラードで敗北、ドイツ軍崩壊の端緒となった。

 この本はヒトラーとナチスの経済政策は結局、自給自足を目指し、植民地争奪を正当化、ユダヤ人を排除した事によって自壊した過程を描いている。ユダヤ人を排除したために、国内の有力なユダヤ人は国外に逃亡し、侵略した国も含め、貧乏なユダヤ人ばかりを抱え込む事になった。最終的解決方法が絶滅収容所であった。ユダヤ人の0みならず、お荷物となったソ連兵の捕虜やロマなどユダヤ人以外の犠牲者も膨大だったことを忘れてはならない。ヒトラーは製造業においてはアルベルトシュペアに采配を振るわせ、成功したが、戦争と軍拡に反対したシャハトを追放後、ヘルマンゲーリングに任せた後は失敗し続けた。ヘルマンゲーリング製鉄という国営製鉄所の失敗が典型である。ドイツの経済の成功はヒトラーの経済政策としては、ひとえにシャハトとシュペアーという個性によって支えられたといってよい。民主主義の政策実行機能は独裁制より劣る。しかし、多くの制御装置がついている事が利点なのである。ドイツの生産力は44年になっても連合軍の爆撃を受けながらかなり維持された。ヒトラーの地域分散の産業政策が功を奏したのだ。末期になっても巨大な戦車タイガーとかV2号を作り続けたのである。もちろん大量の捕虜や強制労働に支えられて成し遂げた事ではあった。

5.破滅に向かわざるを得ないナチスの政策
 
 だから、この本の題名はヒトラーの経済政策というよりシャハトとシュペアーの産業政策というテーマの方が似つかわしい。シャハトは戦争政策に異を唱え、最後にはヒトラー暗殺計画に加担したと疑われて投獄されたため、戦犯にはならなかった。ナチス協力者として労働奉仕に3年程服した後、アフリカやインドネシア経済復興の助言者として貢献し、天寿を全うした。実に賢明なバランス感覚である。これが無かったらニュールンベルグ裁判で死刑になってもおかしくはないくらいにナチの繁栄に貢献した。ナチスの失敗はヒトラーの極端な性格と一か八かの冒険主義、排外思想によって自滅した。結果的には彼の著作、「我が闘争」のなかに全ての破滅の種は潜んでいたのだ。シャハトはドイツ経済の再興をナチスを利用して果そうとしたが、その暴力性を制御できなかった。また、当時のドイツで国民の総意となったドイツ生存権とか、自給体制はナチスの絵に描いた餅であり、ヒトラーの経済知識の欠陥から生まれたことである。ナチスは様々な誤りを犯して崩壊したが、成功したアメリカが正しい経済政策だったかといえば、大なり小なりドイツとそれほど違わない。結局戦争に勝利し、アジアの市場と石油利権を手にした事で勝てば官軍となっただけである。第二次大戦後イギリスもフランスも結局植民地を失った。ナチスの経済政策は資本主義と社会主義の中間を揺れ動く修正資本主義である。歴史というのは後で振り返れば、反省すべき事が見出せるが、実際は過去からの連続性の中にあって、当時の前提条件の中では選択肢は限られ、余儀なくされた政策も多い。しかし、ナチスの極端な民族主義と手前勝手な自給自足の生存権主張が国を破滅に導いたことは確かである。

            左:シュペアーとヒトラー              右:シャハト
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by katoujun2549 | 2010-01-16 13:39 | 書評 | Comments(0)