壬生義士伝

 壬生義士伝は新撰組隊士吉村貫一郎が、新撰組随一の剣の使い手として描かれている。吉村は南部藩の足軽の身分であったが、剣の才があり、北辰一刀流nお免許皆伝ということで、新撰組に入隊した。本当に一番の剣の達人であったかは不明だが、子母沢寛が調査した中で、当時の隊士から相当の使い手であった事は証言があり分っている。北辰一刀流は千葉周作が開いた、江戸三大道場の一つで、千葉が編み出した目録、免許、皆伝といった階層的システムは画期的であった。司馬遼太郎の北斗の人に詳しい。実態はかなり、商売的な部分もあり、免許皆伝がどれほど難しいことだったかは不明。しかし、皆伝というのは、当時の組太刀、居合い、槍、薙刀などの様々な技を全て習得したということで、相当なことである。直心影流では、立ちきり稽古が最後にあり、毎日朝から晩まで入れ替わり立ち替わり門弟の打ち込み稽古をこなさなければならず、一間もある太い木刀を千本振り、墨田川の大橋を一息で渡る肺活量が無ければ免許は得られなかった。ちなみに、勝海舟は直心影流の免許皆伝である。

 新撰組に関しては、司馬遼太郎の燃えよ剣、子母沢寛の新撰組始末記と新撰組始末記異聞があるが、新撰組を現代感覚でとらえ直し、青春群像として描いた司馬遼太郎の評価が高い。自分は時代考証的な面や、オリジナルと言う点では子母沢寛の功績が大だと思う。彼は、新聞記者の経験から、当時まだ生き残っていた新撰組関係者にインタビューし、小説を書いた。始末記を書いたのは1928年だから、斉藤一も永倉新八も生きていたはず。後の作品はこれらをもとにしている。吉村貫一郎は確かに小説とは違う。子母沢寛が吉村は切腹したと考えたが、後の調査では明治3年没となっているらしい。司馬も浅田次郎もエピソードそのものは子母沢寛の域を出ていない。しかし、当時の混乱状況は、歴史の闇も多く、鳥羽伏見の戦いなど新たな史実が後からも発掘されるから、興味は尽きない。

 中井貴一や渡辺謙が主役でテレビドラマとして、また、映画化されている。浅田次郎は関係者の証言と本人の独白という形で物語を進めている。東北の田舎から、貧しい家族を養うために、自分の学問と剣という技能を売りに新撰組に入り活躍する。近藤や土方が士道に忠実な、武士としての幻想にこだわった事に対して、吉村の行動原理は家族への愛と専門化としてのプライドである。このあたりは全くのフィクションである。あの時代にそのような精神文化があったとは思えない。浅田がこの無名の剣士をここまで描ききったことは驚きであり、力量を感じさせる。司馬遼太郎が、近藤や土方を近代的な組織オルガナイザーとして注目した事に対して、浅田はプロの剣士として新しい新撰組隊士像を描き出している。彼の文章は簡潔で切れが良い。今の村上春樹と並ぶ文章家である。
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by katoujun2549 | 2009-12-03 15:35 | 書評 | Comments(0)