ルワンダ紛争と虐殺事件の背景

映画「ルワンダの涙」を鑑賞し、アフリカを考える
★アフリカの現実と未来
 アフリカはかつての奴隷貿易に始まる西欧社会の搾取と支配の長い歴史を背負って来た。しかし、サッカーワールドカップ開催など、新しい希望も見えて来たし、ケニア、カメルーンといった安定した国々もあり、豊かな自然と豊富な天然資源に恵まれ、未来の人類の発展の鍵を担っている地域である。今日、中国やインドの経済発展が期待される中、僅かな経済発展が世界の貿易や経済にプラスの影響をもたらすという実例から、21世紀の人類の未来に大きく関わってくるはずである。日本はその意味においては無縁ではない。過去のしがらみの少ないアジアとの結びつきは、既に資源開発等で中国や北朝鮮などが先行的である。日本はそうした利権獲得にシノギを削るだけではなく、医療、教育、先端技術の移転、経営技術などで貢献が期待されている。

★ 映画の見どころ                         
 (1)ベルギー人神父の献身的奉仕
  カトリック教会がルワンダの伝道を献身的に行って来た。フツ族が多数派であり、カトリック教会はフツを取り込もうと政策を転換したが、多くの聖職者が命を落とした。死を前に行われる聖餐式の姿が描かれ、絶望を前に心の平安を求める人々の姿が印象的で、その意味を考えさせられる。又、神父の名前がクリストファー;キリスト、神父を支え学校で奉仕をしていた青年教師、最後に神父から分かれ、ルワンダを去るが、彼の名前がピーター:ペテロというのが象徴的
(2)国際連合の無力が虐殺を招いた状況
  アフリカは今なおアメリカ、ヨーロッパ諸国の思惑の中にあることを垣間みることができる。あまり指摘されないが、フランス政府が、虐殺側に立ったフツの援助を組織的に行っていた(フランス軍の展開、武器援助等)事など、冷戦時代からの名残を引きずった西欧諸国の思惑がさらに事態の鎮圧を遅らせていたという面もある。
                   
以上
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1 ルワンダ紛争の原因
 ルワンダは中央アフリカ、コンゴとウガンダの南に位置する。15世紀にツチ族がルワンダ、ブルンジに王国を築いた。ツチ族は緩やかな支配関係を続けたがアフリカ諸国同様、ヨーロッパの植民地となった。第一次世界大戦まではドイツ、第一次世界大戦以降はベルギーの植民地となった。ドイツはルワンダ支配を効率よくするため、ルワンダが封建社会であると歴史を歪曲して位置づけ、ツチ族を官僚社会の支配階級フツ族を被支配階級とし、キリスト教宣教会を中心に学校で正しい歴史として子供達に教え、民族的洗脳を行った。ヨーロッパ人の植民地政策は民族対立を煽り、混乱に乗じて支配するやり方が多い。ベルギーが支配後もドイツの政策は引き継がれた。少数派のツチ族はキリスト教徒が多く、植民地下でツチを君主及び首長等の支配層とする間接支配体制が築かれ、多数派のフツとごく少数の先住民族トゥワはより差別を受けるようになった。
このカースト的な主従関係が、ツチ族とフツ族の対立を招き、人々の運命を左右する事になった。

 2.独立後の内戦
 1962年の独立の前にツチとベルギー当局との関係が悪化し、ベルギー当局は国連からの関係改善の勧告を無視し、社会革命としてフツによる体制転覆を支援した。ツチ族はルワンダ愛国戦線RPFを組織し、ウガンダを拠点にフツ族のハビャリマナ政権への反政府運動を活発化し、1990年に内戦が勃発した。1948年に188万7千人だった人口が1992年には750万人と4倍になり、土地不足や土壌の疲弊が起こり[1]、農業が主だったフツには貧困が蔓延するようになった。

 3.大統領暗殺事件をきっかけとする虐殺の陰謀
 1993年8月にRPFの猛攻と国際世論の高まりにより、アルーシャ協定が結ばれ、和平合意に至ったものの、1994年4月6日にフツのジュベナール・ハビャリマナ大統領とブルンジのシプリアン・ンタリャミラ大統領を乗せた飛行機が何者か(「フツの過激派による犯行」と「ツチの犯行」の二説有り)に撃墜されたことに端を発して、フツによるツチの大量虐殺(ジェノサイド)が始まり、一説には約100日間で国民の10人に1人、少なくとも80万 - 100万人が虐殺が行われたとされている。

4.事件の終結
 1994年7月にRPFがツチ系の保護を名目に全土を完全制圧し、フツのパステール・ビジムングを大統領、ツチのポール・カガメを副大統領(現大統領)として新政権が発足。紛争は終結した。
 第二次大戦後のアフリカは多くの国が独立したが、ウガンダ、ブルンジ、コンゴなど、過去の植民地政策の影響から混乱が続いた。米ソ冷戦下対立の代理戦争となったコンゴなど、苦しみは続いた。今日のアフリカの経済的、文化的近代化の停滞も、そうした、過去の負の遺産を抱えた事が背景にある事を知っておきたい。

5.国連の責任
 ジェノサイド事件については、直前のソマリア内戦の介入で失敗した国際連合(とその中核となるアメリカ合衆国)が「ソマリアの二の舞」になることを恐れる余り慎重な態度を取り、結果的に国際的な対処が遅れ被害を拡大したという見方が強い(仮に国連軍が展開されていればツチの死者の何割かは救えたと言われる)。この紛争では、ラジオ放送がツチへの敵愾心を煽る放送を流したことが、一般人までもが虐殺に荷担することにつながった。

6.20世紀はジェノサイドの時代
 20世紀はジェノサイド(民族虐殺)という問題が発生した時代である。第一次大戦後のトルコによるアルメニア人、スターリンの粛正、ナチスの600万人にも上るユダヤ人、ロマの虐殺、中国の内戦と文化大革命、米軍のベトナム戦争時のラオス爆撃、カンボジャのポルポトの都市民虐待、ユーゴスラビアの民族浄化、そして、アフリカの内戦である。今日もスーダンのダルフール紛争など、100万人単位で犠牲者を数えられる事件は続いている。夫々の事件は必ずしも、単独に発生したのではなく、それらは前例として実行者の参考になっている、例えばアルメニア人虐殺は100万人を超えるが、ヒットラーは当時の国際社会が単なるる非難に終わって風化しつつあることを歴史的教訓にユダヤ人をガス室に送ったのである。こうした事件に特徴的なのは必ず、歴史の修正主義が現れて、その犠牲者の存在を否定して事件を無かった事にする政治的活動が行われる事である。この問題は国際社会の監視によって歴史的な非人道的政治犯罪として継承されるべきである。
 

        

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by katoujun2549 | 2009-09-11 12:54 | 国際政治 | Comments(0)