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パラダイス・ナウ

映画パラダイスナウ
『パラダイス・ナウ』はパレスチナ人監督ハニ・アブ・アサドがイスラエル人プロデューサーと手を組み、ヨーロッパ各国との共同製作というかたちで作りあげた。2005年作品
ゴールデン・グローブ賞受賞により大きな波紋を呼び、第78回アカデミー賞外国語映画部門にノミネートされたが、アカデミー賞の授賞式前には自爆攻撃により亡くなった人のイスラエルの遺族たちから、テロを支持する映画ということでノミネート中止の署名運動が起きた。 
アカデミー賞は、これまでパレスチナは国家ではないと言う理由でパレスチナ人監督のエリア・スレイマンによる『D.I.』を選考対象から除外してきたが、今回はヨーロッパ各国との合作と言う事でノミネートされた。
映画は、パレスチナの幼馴染みの二人の若者が自爆攻撃に向かう48時間の葛藤と友情を描いた物語で、同じくアカデミー賞にノミネートされた『ミュンヘン』がユダヤ人監督スピルバーグによる、巨費を投じて製作したイスラエル人テロリストのエンターテインメント作品であることに対して、今迄語られる事のなかった自爆攻撃者の葛藤と選択を描いている。
 ナブルスという難民地区に住む若者が自爆攻撃に向かう。不思議と悲壮感はない、特攻隊のドラマに近い潔さを感じるがドライな印象。彼らの言葉でも神風という言葉が出て日本の影響の強さを感じる。サイード、ハレードという2人の青年がテルアビブに自爆テロに向かうが一人は中止し、主人公に止めるように説得します。彼のテロに向かう事情とか家族、恋人、送り出すグループなどがドキュメンタリー風に描かれます。全てがシステム的に流れていく。アカデミー賞にノミネートされ、ベルリンその他で賞を取った作品。
アカデミー賞が無理なのは当然ですが推薦します。テルアビブの西欧化された都会と難民地区のだらしない街の感じがシュールに見える不思議な作品です。自分はイスラエルとパレスチナ人を複眼で見たい。

小生の友人江面君も見てくれ、印象を語ってくれた。

重たいテーマの割りに(おそらく)あの地の風のように「サラッと乾いていて、妙に軽い」のがいい。パレスチナ人というのが、家族思いで誠実な「普通の人々」であることを「生活のディテール(たとえば母親たちの子供たちへの有り勝ちな小言とか、トマトのサラダを作るとかピタで弁当を作る姿とか)」を通して描くことによって、何の因果でこんな「普通の人たち」が「普通でない抗えない不条理」に投げ込まなければならなくなったのか?と言う重い問いかけになっている。

サイードとかハレードとかの「心優しいテロリスト」を見ていて、根拠はないが史的キリストっていうのは、意外にあの一帯でローカルなあの種の面差しに似ていたのではないか、との思いがフト頭をよぎる。
ナブルスとテルアビブの町並みの圧倒的な違い。しかし、イスラエル・ユダヤ人もパレスチナ人も結局、「グローバル・スタンダード(American Way of Lifeの完成の度合い)」という共通の価値観によって毒されている。(今は世界中そうなんだけど・・・。)
サイードとスーハの車の中の短い会話の中に、世界の此の一角のどうしようもなく拗れてしまったアプローチの違いがすっかり言い尽くされていた。 指揮官が語る「一分の隙もない」筈の作戦が、実は単なる行きががりで杜撰な計画であったかも知れないと思わせるが、なにはともあれ若者たちの命はあのように手軽に無意味に確実に消費される。(ピタをモソモソと食べながら自爆テロ実行者の遺言ビデオ撮影に臨む発令者!)
こういう「指揮官たちの迂闊さ」は、神掛かった負け戦には有り勝ちで、おそらく日本の特攻隊にもあったのだろう。その事実はたいてい特攻の間際に明らかとなるが、最後の刹那、彼等はどんな気持ちで突っ込んだのだろう。出てきた植生や風景が意外にも「カナンの地に相応しい可能性を秘めた豊かな自然環境」なので驚いた。とにかく映像の流れが自然で、「予め決められた筋書き」を意識させない監督の手腕に脱帽。
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by katoujun2549 | 2009-08-29 13:29 | 映画 | Comments(0)