日本にとってイスラエルは殆ど意識されない遠い国家に見える。一方、中東は石油の供給源であり日本の産業の生命線であるように見える。しかし、今や産業の素はCPUである。中でもインテルのCPUは最も大きな役割をもっている。これを生産しているのがイスラエルであることが知られていない。今やインテルの戦略はPCからAI、自動車産業にシフトしており、その中心をイスラエルに置いている。この本はイスラエル礼賛に満ちており、読むにはうんざりするが、それにしてもイスラエルの発展ぶりには驚かされる。日本がどんどん取り残されていることに、空しさを感じるほどだ。
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# by katoujun2549 | 2018-01-17 13:08 | 書評 | Comments(0)

大相撲初場所3日目 両国国技館

60年ぶりに両国国技館の大相撲初場所に行った。3日目。十両の取組が終わったところだった。1階の南側12番目の枡席に大人4人が座ると結構きつい。前2人が足を手すりの下に潜らせると後ろの人が楽になった。昔はお茶屋さんがやたら焼き鳥やら、弁当、お菓子などを持ってきて、帰りは風呂敷にいっぱいお土産を持って帰ったもの。今は注文しないと出てこない。せいぜい、焼き鳥と缶ビールになったから変わったもの。子供の頃は、これが楽しみだった。多分、こうしたお土産が席料を高くしていたのだろう。改革されたのである。馬鹿でかいせんべいやらチョコレートなどあったが、べつに欲しいというものでもなかった。幕内のそろい踏み、横綱土俵入りと続く。白鵬、鶴竜、稀勢の里と横綱の土俵入りを見るのは嬉しいもの。

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幕内の取組の最初は前頭16枚目竜伝ー朝乃山から。石浦の下手投げ、阿炎、千代丸が順当な勝ち。蒼国来対安美錦は応援むなしく残念ながら安美錦の負け。今日のハイライトは稀勢の里、白鵬に土がついたこと。白鵬が負けたときは座布団が飛んだ。鶴竜は今回は調子が良さそう。危なげない勝ち。

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昨年末の日馬富士事件と相撲協会の対応でマスコミを賑わせたが、相撲観戦はやはり楽しい。日本人のみならず、外国人も楽しそうだ。幸せの一瞬だろう。今や横綱白鵬は悪役と化し、倒されると大いに湧いた。


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# by katoujun2549 | 2018-01-16 21:33 | Comments(0)

イスラエルと日本はアメリカ合衆国の子分となり、身の安全を図ってきた。日本がアメリカの言うことを聞いてさえいれば、上手く行くと思い、へんてこな、トランプ政権とも仲良くしてる。それに対して、イスラエルはアメリカにおけるユダヤ人勢力やロビー活動を通じて、大きな影響を与え、支援を受けている点が大きな違い。日本は停滞の20年間ですっかり先進国の発展から取り残された。一方イスラエルはしたたかで、賢い。医療、製薬、軍事、セキュリティ、AI、ベンチャー企業など人間が生存に必要な分野に特化し、イノベーションを続け、アメリカの企業は彼らを取り込もうと躍起である。日本はユダヤ人に習い、戦略的に国際社会で生きる道を整えるべきだ。日本は中東の石油の輸入に依存しているため、どうしても アラブに同情的。確かに、ドイツのユダヤ人イジメは物凄く、600万人が殺された。また、イスラエル建国や中東戦争は彼らの犠牲に立ったものである。NHKのニュースではトランプのイスラエルの首都をエルサレムとする宣言にパレスチナ人の反発のデモが大騒ぎのように報道されている。彼らの怒りはごもっともかもしれ無い。しかし、現実はそうだろうか。ネタニアフ政権は相変わらずヨルダン川西岸の住宅開発とユダヤ人移住を進めている。オバマが批判してもどこ吹く風。NHKやニュース解説の達人、池上彰氏も言わないが、日本ではパレスチナに同情的な報道が受ける。その理由はいくつかある。まず、現実を認識しようとしない。同情の的であるヨーロッパから移ってきたユダヤ人は既に高齢者である。戦後70年も経つから、当時20歳の若者さえ90歳、ホロコースト経験者は希少なのである。彼らの二世ですら高齢者である。イスラエルの政党は労働党とリクード、共産党など10以上の多数政党だが、日本人がイメージするユダヤ人は労働党で、当時の首相はアラファトとオスロ合意を成し遂げ、対アラブに寛容な姿勢であった。ラビンは暗殺された。


彼らはリクードに政権の座を譲って今はネタニアフが首相だ。リクードの支持母体は戦後、アフリカやロシア、中東から移ってきたユダヤ人で彼らは中東戦争を支え、上昇志向も強い。イスラエルの医療はユダヤ人が握っている。パレスチナ人は彼らの医療を受ける事ができる。ヨルダン川西岸の入植者はこうした新手のユダヤ人であり、パレスチナ人に囲まれても平気で暮らしている現実に目を向けなければならない。彼らが入植すると住宅を建てるが、その住宅を建てる労働者はパレスチナ人なのだ。彼らはお陰で失業者にならない。入植者のお陰で生活が成り立つ何とも皮肉な結果なのである。

アラブの大義としての反イスラエルはイラクのフセインが言い出した事で既に死語だ。反イスラエルはイランイラク戦争の失敗をアラブの大義で覆い隠すのが狙いだった。そもそも、アラブは一枚岩ではない。仲が悪い。ヨルダンは第一次中東戦争の仕掛け人だが、本来ならアラブの盟主のフセイン家だが、サウジアラビアにメッカがあるため、スンニー派の原理主義者のサウド家にお株を取られ、かつ、フセイン家の奥方はイギリス人である。イスラエルの仇敵はシリアだが、第2、第3次中東戦争でイスラエルに完敗。今や内乱でアサド大統領は身動き出来ない。イランはイスラエルを敵とみなし、テロ集団ハマスの本家だが、これはイスラエルをアメリカの傀儡とみなし、反米のとばっちりなのである。イランとサウジアラビアはシーア派とスンニー派の千年来の敵同士。イランは隣のレバノンの混乱に乗じ、ヒズポラをイスラエルがレバノンに攻め込まないように送り込む。ガザ地区はハマス支配だが、イスラエルに封鎖された。ガザ地区から2000年から2006年にかけて4000発のロケット弾と迫撃砲弾の攻撃を受け、また、2012年には400発のロケット攻撃を受けた。イスラエルの迎撃はこのロケットを当初40%、後には80%迎撃している。イスラエルのロケット技術はすごい。このことの報道は少なく、ガザ地区に対するイスラエルの黄リン弾使用などが非難された。2017年イスラエル空軍機にシリア軍がS200地対空ミサイルが発射されたが、これをアロー2という対ロケットミサイルが撃墜した。戦闘機を狙ったロケットを撃ち落とす技術を持つに至ったのだ。ガザ地区ではイスラエルにハマスが封鎖され、今やイスラエルは軍事的には最も安定した時代なのである。この簡単な事を何故報道しないのだろうか。イスラエルはこうしたアラブの不協和音を敏感にかぎとり、ここぞと親ユダヤのトランプを招いたのである。


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Phase1 逆流性食道炎

今年の正月は逆流性食道炎とインフルエンザの両方に見舞われ、最悪の事態となった。正月の3日、咳き込んだとたんにいきなり朝食を戻してしまった。咳が止まらない。下痢までしてしまった。最初はノロウイルスに感染したかと思い、消毒薬を買った。1日寝ていた。胃袋が石になったように違和感がある。咳はあっても吐き気は消えた。しかし、咳が止まらない。喘息のような咳は逆流性食道炎の症状のひとつであることがネットで調べ分かった。胃の消化力が弱ると腸に影響し、下痢を引き起こすらしい。変わらず咳が止まらない。10日になっても咳が止まらない。胃から胃酸が食道に漏れている。すると気管も胃酸で刺激されて喘息状態となる。胃酸の分泌をおさえるプロトンポンプ阻害剤を飲むと症状が和らぐので、大塚医院に行って咳の薬と胃腸薬を処方してもらった。早速飲むと咳が和らいだ。効果覿面。

Phase2 インフルエンザ

ついでに熱を測ったら37度で微熱が ある。家に帰る途中、COCO一番でカレーを食べたが食が進まない。夕方熱を測ると38度もあるではないか。体がだるく全く食欲がない。こりゃあインフルエンザだと思い、大塚医院に電話をしたら、発症後12時間くらいたたないと検査が判定できないから明日来て下さいという。熱はどんどん上昇、38.5度になった。検査などしなくともインフルエンザに違いない。熱のせいか体の節々が痛い。早くタミフルを飲めば回復も早い。翌朝、9時の開院を待って大塚先生に見ていただいた。細い試験用の綿棒を鼻に突っ込まれた。この検査一瞬だが痛いんです。結果はA型の+判定。待合室に戻れず、別室の治療ベッドに移され、タミフルをもらった。家に帰り早速飲むと、夕方には熱が下がってきた。これも効果覿面。一日ベッドで寝ながらテレビばかりを見ながら過ごした。多少食欲も出てきた。お餅とパンを食べた。タミフルをもう1錠飲むと、夜中には平熱に戻っているではないか。これで、一件落着か。とにかく、人に移さないように5日は接触を避けねばならない。
今年の正月は逆流性食道炎とインフルエンザのダブルパンチでノックアウトとなりました。

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 師走のマスコミは相撲協会の日馬富士暴行問題に端を発した、貴乃花理事と相撲協会の対立問題に終始し、北朝鮮関連と合わせて、推測ばかりが先行した時間つぶしだった。相撲協会は公益法人であり、自分もある公益法人の役員をしているので他人よりは興味がある。貴乃花理事は改革派であり、調整形の八角理事長とは波長が合わない。まぁ、普通理事長というのは順調な時はそのようなもの。しかし今回の事態は異常時、そこでは理事長の意見は全く聞こえず、高木危機管理委員長や、池坊評議員会議長の貴乃花に対する手続き論的な責任問題に終始し、事件の本質は取り残され、社会も当事者、被害者も取り残された。公益法人といっても、改革においては何も目新しいことができるというわけではない。とにかく、相撲協会は大相撲の人気、NHKの放送料、スポンサー料、観客席収入が命。改革と言っても協会が相撲以外の仕事やこれまでと全く違う仕組みづくりをするのはマイナス面もあり、又、力士達の理解が得られないでしょう。貴乃花もそんなことを望んでいたわけではない。しかし、経営がきちんと出来ているとは思えない。まっとうな経営と正しい措置が行われなければ相撲という競技が衰退してしまう。暴力問題に関する今回の相撲協会側の取り組みが十分だったとは思えない。相撲は国技では無いが、公益性のある事業。


 未来を考えると、マイナスチェックや秩序維持の意思決定ばかりをしていたら、次第に縮小し、若い人が相撲から離れ、モンゴル人相撲ばかりになってしまう。大相撲というのは相撲としての競技水準が一番高い、プロだから当たり前だが、アマチュアスポーツにも相撲はあり、こちらは独自の発展がある。あくまでも、興行の世界。マネージメントに関して問題は人材である。最近は相撲界にも大卒の関取が増えたが、おそらくスポーツの中でも選手の教育レベルがもっとも低い世界ではないか。幸いなことに、相撲は他のプロスポーツより、暴力団との関係は薄いだろうが、そのものが暴力集団では困る。


 大相撲はビジネスである以上、経営とは何かです。答えは、経営とは時代に合った中長期計画、そして市場や世に受け入れらビジョンがあること、そしてそれらを実現する努力をトップが行うかです。多分、貴乃花のジレンマはそこにあるのでしょう。今の理事会や評議員会からそのような意思を持って運営しようとする人が居ないように見える。暴力の無い、より知的な、相撲道とは何か、きちんと議論出来る場が理事会には無い。本来、理事会とはそのような議論の場ではないか。マスコミで発言した経営陣は皆相撲の素人ばかり。このような傾向は日本の非営利組織や法人には良く見られる。相撲協会だけではない。大企業の役員会でも良くある事。ワンマン経営の二代目になると創設時の熱気や情熱は失われて、出る杭は打たれて、現状維持になる。手続きはかりが議論され、事務局や理事長、一部の権力者が仕切る理事会となってしまう。それだったら発展は無い。おそらく、貴乃花理事の理想を実現するには、貴乃花部屋が日本最大の相撲部屋になり大きな影響録を持つに至るしか無いだろうか。あるいは、国際化によってモンゴルに頼らない体制を作ることである。



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ナポレオンはローマ法皇にキリストは実在の人か?と聞いた。法皇はナポレオン閣下が今実在されるのと同じように確かなことですと答えた。ローマ法皇も恐れぬ権力者の発言だ。しかし、当時の理性信仰が広まっていた、ヨーロッパでは、聖書の記述は信仰の世界であり、歴史的真実ではない。非科学的世界のことと思う人が知識人を中心に多くなった。これは19世紀には支配的な考えだった。ところが、イギリスを中心に植民地政策で、中東の支配が進み、考古学が科学的な影響から学問となり、ウルやウルクの発掘、エジプトの王家の墓が発掘されたり、聖書の世界がノアの洪水まで含めて、かなりの真実が証明され始めた。アラビアのロレンスもその発掘考古学者団の一員であった。エルサレムやガリラヤ湖の周囲のイエスキリストが伝道した諸都市も第一次、第二次大戦、中東戦争などを経て、発掘は遅れていた。第4次中東戦争以降、イエスが伝道したガリラヤ湖周囲の諸都市が発掘され、様々なことがわかってきた。死海文書の解読も行われ、バプテスマのヨハネなどは、エッセネ派の流れということも理解されてきた。イエスキリストがいた時代の生活環境などから、聖書の記述がかなりの事実であることを発見した。又、中には旧約聖書との整合によるこじつけ、後の世に書き加えたり、想像の産物だと見られる部分も明らかになってきた。興味深いのは後の世の名所旧跡や伝承より、聖書の記載の方が予想を越え、正確なことだ。イエスやマリア、ヨセフが実在した諸都市の記述から、イエスだけが存在しなかったことはあり得ないという


今月のナショナルジオグラフィックにその伝道旅行の真実性について特集が組まれた。キリスト教にとって、歴史的な真実かどうかは重要な要素である。それは、キリスト教の神は歴史的世界に現れ、人間に歴史の中でその権威や真理を伝えることが重要な軸となるからだ。旧約聖書も歴史の書である。エルサレムにはイエスが十字架につけられるまでに通った道や、神殿の跡などがあるが、考古学的に立証されたものではない。ところが、1970年以降発掘されたナザレの遺跡には、マリアやヨセフが暮らしていたと思われる住居跡が発掘されている。これらはかなり信憑性が高いものも含まれている。もちろん、イエスのエルサレム入り以降の足跡は新約聖書のハイライトだが、実際にイエスが歩いたのは推定で3年ほどの間ガリラヤ湖の周辺の小さな町々である。これらは何処にあったかはわかっていないものが多い。近年それらが発掘され、聖書に書かれているガリラヤでの伝道の足跡も明らかになってきた。ベテスダの池も修道院の下にあることが発掘された。最初の記述がイエスが育ったナザレの町である。生まれたのはベツレヘムであるとされ、そこには既に聖誕教会があり、毎年クリスマスには礼拝が行われる。観光名所にもなっているが、本当はその場所かどうかは立証されたわけでもない。ナザレには50戸ほどの集落でシナゴーグの跡もある。そこではガリラヤ湖で使う船なども作っていたから大工も住んでいた。そのうちの一人がヨセフだった。マリアが住んでいた家というのは、キリスト教の初期の頃、イエスの家として特定され、既にクリスチャンから礼拝の対象とされた跡が残っているのである。イエスがここで生まれたという説も有力だ。今のカトリックのマリア信仰よりずっと以前にマリアは崇められていたことが分かった。

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マリアの家の近くには、現在の地下聖堂(イエス傳育の杜)と呼ばれる建物群があるが、その地下の地層からは、沐浴場、地下洞、水槽、少し離れた場所にモザイクの敷石が発見されている。構造と様式から、イエスが幼少~青年時代に過ごしたとされるヨセフの家の伝承に良く合致する。マリアの家と同様に粗末な家は、地下洞に隣接していた。内部にはマリアに関する落書きなども見つかっている。

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ナザレは2つの渓谷に挟まれた、岩肌のゴツゴツする小さな山村と言えるだろう。住民はほとんどが職人か農夫で、オリーブ園やぶどう畑を営農し牧畜を営む農村地帯であり、ガリラヤ湖畔の喧騒とは無縁の土地でもあった。しかし、2世紀にはいると事情が一変してしまう。主イエスの出身地という事で、ユダヤ人キリスト教徒には広く良く知られた聖地となってしまう。ユリウス・アフリカヌスの『年代記』には、主の親族が住んでいると記されているし、2世紀の著述家でユダヤ人キリスト教徒のヘゲシップスも主の親族ユデ(ユダ)の子孫について記述している。ユデおよびその子孫は、ナザレで農夫として過ごし、ユダヤ人キリスト教徒とも暮らしていた。 ナザレ周辺にはイエスの一族が暮らしていた。


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# by katoujun2549 | 2017-12-26 17:43 | Comments(0)


クリスマスの25日、スターウォーズをバルト9で見た。月曜日、65分の回は半分くらいの入り。1223日・24日の映画動員ランキング(興行通信社調べ)は、最新作『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』が、土日2日間で動員45万人、興行収入69600万円をあげ2週連続1位を飾った。

152分と長い映画だった。しかし、退屈せず最後まで見きった。ルークスカイウオーカーのマークハミルもレーア姫キャリーフィッシャーもすっかり年を取っている。レーアの後指揮を執ったホルド中将役を演じたローラダーンはジュラシックパーク1、3作に植物学者役で出ていたが、これも婆さんになっていた。とにかく寿命の長いシリーズだから仕方がない。


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レーア姫 キャリーフィッシャー
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ローラダーン
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キャリーフィッシャーは1年前に亡くなり、エンドタイトルにin memory of CarryyFisherとあった。年の割には老け込んでいたのは薬中毒のせいだそうである。ハンソロは出なかったが、ハリソンフォードも87才だとか。帝国の逆襲が最高傑作と言われるが。当時の登場人物や。チュウバッカー、R2-D2C-3PO、ヨーダも出た。フォースの覚醒、ローグワンも見たから、今回はそれらを背景とした作品だから是非見たかった。予想を上回る出来。エピソード8という事だが、来年公開のエピソード9が最後という。フォースを軸に宇宙で繰り広げられる、まるでおとぎばなしだから、細かなことは言わずに、楽しめた。もちろん、真空の宇宙に放り込まれたら、あんな風にまともには戻れない。ダークサイドと共和国のレジスタンス軍の戦いなど、いくつかの伏線をまとめてドラマをまとめ上げた手法は凄い。レイの役を演じる女優、デイジーリドリーはグラマーでもなく美形でもないがぴったりの役柄である。彼女がルークの子供か、推測するのもこの映画の楽しみである。

スターウオーーズは結構ロケで舞台設定している。カジノのシーンはクロアチアのドブロニク、最後の戦闘のシーンはボリビアのウユニ塩湖、ルークスカイヲーカーの隠遁の地はアイルランドの世界遺産スケリックマイケル島だそうである。こんな風景を大画面で見ることも楽しみである。
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# by katoujun2549 | 2017-12-26 01:02 | 映画 | Comments(0)

柳家小春さんは小唄のプロだが、中野の古民家カフェのモモガルテンで、JAZZコンサートを行った。志賀由美子さんのギターが伴奏だが、素晴らしい演奏だった。


バードランドから始まって

ミシェルルグランジャズ

you spring cold

skating in Central Park

smile

黄昏の街

星に願いを

ジョンレノンのHappy Christmas

など、大いに楽しませてくれた。

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スベトラーナアレクセイビッチのチェルノブイリの祈りについて、翻訳者の講演、バージナルと古楽器フルートの演奏、立川らく人さんの落語など、小さいが、趣きのある企画が、2ケ月に一度くらいある。家から1分のところだから気楽に行ける。そもそも、無名の新人やニッチなテーマだから、多いときでも40人くらいだが、内容は良い。入場料2000円でワンドリンク付き、食事も1000円のプレートがつく。




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クリスマスの祈り

在天の父なる神さま、クリスマスを祝う恵みを与えられますことを感謝します。あなたの一人子をこの世に賜り私達の罪を贖いくださいましたことを記念する良き日に兄弟姉妹と共に心から我が主イエスキリストの御名を賛美し、あなたの一人子、我らの主の十字架の苦しみと贖いによって私達が救いの中にあります事を感謝します。
 ご恩寵を覚えず、自らの罪を覚える愚かさ、罪深さを懺悔いたします。私達が与えられたこの世界がご計画によって作られ、貴方の栄光を表すものとして築く事ができますよう道をお示し下さい。世界は過去の教訓を忘れ、再び力と富こそが世界を主導するという誤った考えが蔓延しつつあります。愚かな核兵器によって力と力の恐怖によって世界を支配することは許されることではありません。
主が十字架によってお示しになられた愛と絆こそが力であり、新しい世界を導くものであると信じます。その事を証しし、聖霊の御力によって福音を伝える使命を果たす事ができますよう導いて下さい。 あなたの一人子のご降誕の奇跡とそこに示されたご計画を信仰をもって受け入れます。
 私達一人一人がクリスマスの喜びと感謝をもって、新しい年を迎えますように。「いと高きところに栄光神にあれ、地には平和が御心にかなう人にあれ」と福音にあるように、主と共に歩み続けます。どうかこの罪深き私達が多くの悲しみの中にある人びと共にあり、祈り、奉仕することを許して下さい。災害に遭われた方々の復興、あるいは、平和のために尽くす力を強めて、我が主の御心に適う良き働きを行う事ができますよう。
これから新しい年を迎えるにあたり、社会にあっても、又、個人生活においても様々な試練が待ち構える事と存じます。どうか私達が良き決断と目標を与えられますように。貴方の選びの中にあって問題を解決できるよう知恵をお与え下さい。クリスマスにあたり感謝と願いを貴き主イエスキリストの御名においてお祈りもうしあげます。

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12月17日日曜日、錦糸町の墨田区総合体育館で第28回学連OB剣友剣道大会が開催された。この大会は大学剣道部のOBを参加者とする剣道大会、実業人、教員、警察官など職業人の混成大会で、内容も8段の選手も混じるのでレベルも高い。決勝戦などは全日本クラス以上の試合を見る事ができる。

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1部決勝戦 日体大対国士舘大

年末の第2週、3週の日曜日にいつもは東京武道館で行われてきた。今年は珍しく墨田区スポーツセンターで開催された。年齢別に男子は1部から3部、女子とチームが編成され、今年は1部から3部まで国士舘大学が優勝し、層の厚さを感じさせた。女子は清和大学が優勝。
自分は一橋大三部で三人戦中堅出場。先鋒が負け、何としてでも負けられない。一本取りたい。対戦相手は防衛大学のO選手で上段。惜しい小手が右小手に当たるが、審判には見えない角度。上段にはもっと間合いに入って、打ち込ませ、打ち返す必要があると思う。上段や二刀には横面とか、逆胴、突きで攻めても良いのではないか。そうしないと正眼は二刀や上段の相手を崩す手立てが無い。東大の二刀が、国士舘から、散々横面をはられ、何時に無く防戦気味だった。なるほどと思った。圧巻は法政対国士舘の大将戦。上段の法政高橋に中段桜木。
見事に右小手と面で制圧し、対上段のお手本を見せてくれた。

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 日本は戦後、戦争の荒廃から見事に立ち直って20世紀末までに、経済大国となった。ところが、教育に関しては失敗の連続である。確かに近年もノーベル賞をとる人材がいるが受賞者の多くはむしろ戦前の教育の延長線上にあり、彼らが教えを受けた先生方は戦前の教育を受けている。あるいは、海外に留学して才能を伸ばしている人が多い。戦後の教育は大失敗ではなかったのか。個性ある創造力に富んだ人材を作れと政治家や経済界のお歴々は宣う。一向に生まれない。無い物ねだりとしか言いようがない。
 それは底辺の基礎学力のある人材が減少しているからである。創造性は無からは生まれない。昔は大卒は5%位の時代があった。明治時代の発展性は庶民の高い学力にあったと自分は思う。国語力などは昔の庶民の方があったのではないか。そのような親に育てられたてられた子供は学歴に関係なく立派な仕事をする。エリート教育と基盤の育成は両輪だ。いくら一部のエリートが立派な仕事をしても一般の国民がそれを生かす事ができなければ終わってしまう。確かに東大は優秀な人材集団だが、全体の底上げに貢献していない。
 
 今やテレビの美人アナウンサーに東大卒がゴロゴロいる。あたり前である。あのような創造性のない職業、決まった内容を正確無比に伝える言語能力で出世できる。しかし、社会の発展には全く貢献しない。会社をおこしたり、発明などしない。難関のアナウンサー試験に合格しただけの人である。それこそ東大の得意とする分野。
 教育の目的には国民の一定の知識が国力の維持に必要な水準ということがある。しかし、その方法においてはやはり限界が生まれている。戦前は富国強兵を目標に一部のエリートの育成を急務とし、多様な教育制度が出来上がった。ところが、これらは崩壊、東大を頂点とするピラミッド形の構造になった。これが幅広い人材の育成を阻んでいる。特に憂うべきは底辺層の地盤沈下。近年日本の底辺層の学力は著しく低下し、文盲に近い。彼らは今や漫画しか読めない。また、高度な学力を身につけた指導層を形成するためのいわゆるエリート層を蓄積する事も大切であるが、そこにおいてもあまり成功していない。とにかく思考力が無い。勿論、家庭教育や個人の努力によって達成されている部分は統計的に認識されていない。実は家庭教育の優れた影響を受けた人間が僅かながらエリートの基盤を維持しているのであり、学校はあまり貢献していない。一国の総理大臣が高校生並みの漢字読解力であることが国民に知れ渡る程である。多分彼は学校でしか勉強しなかったのだろう。
 日本語の教育に失敗しているのに英語で成功するはずがない。未だに This is a pen.とかやっている。中学3年までの英語なら1年で習得できるはず。確かに今のやり方では落ちこぼれ続出だが、これを起こさない研究がなされていない。頭の良い学生ばかりを集めた開成高校あたりでは中3で高校までの英語力をつけるので不可能なことではない。学力段階別の英語クラス編成をすれば良いのだ。これがなぜできないのだ。仕組み作りに難点があるし、教育に熱意がない。
 日本の学校教育は人間をいかに従順な、組織内で要領の良い人物を育てるかを最大の目標としている。戦争で戦える体力も無い。創造的な知力を持つ人間は育てない。芸術に例をとると、実に低レベルで、役にも立たない小学生だけに通用する笛だの太鼓しか教えない。何でギターとかバイオリン、ピアノ、オルガンが教えられないのであろうか。教える人がいないという理由だけで、最初からその気が無い。今、世界的に有名な交響楽団がベネズエラにある。ベネズエラ全国青少年管弦楽団は日本にも来て感銘を与えた。これはそのメンバーが皆スラムの住人で不良少年から更生したものばかりということだ。カラカスのガレージで11人の子供に音楽演奏を指導したことからスタートした。現在は国と民間からの財政支援の下に、25万人の児童・青少年が参加し、計210のオーケストラを擁する全国組織に発展している。財団は、2歳半以上の子供を公募、無償で楽器を与え、年齢や習得段階に応じて毎日訓練する。14歳以上の優秀な子供には、カラカスの「ベネズエラ全国青少年管弦楽団」のメンバーとなる道を用意し、住居から生活費まで提供する。日本は基本的に個人に帰属するものに教育の公費を投入しない。国民の50%が低所得層の国でもここまで出来る。
 昔、学校で国語のテストが平均点以下だから親身に心配したり怒ってくれた教師がいただろうか。英語の成績が良いから海外留学を人生の目標にするアドバイスをしてくれる教師がいただろうか。彼らが怒るのは、遅刻をしたり、教材を忘れたり、くだらない授業で眠くなった生徒を自分の教え方が悪い事を棚に上げて、腹いせで癇癪を起こす時ではないか。出欠を取らないと授業に出る生徒がいなくなる恐怖感が裏にはある。彼らは何でも丸暗記し、一定のテキストの知識内容を消化し、要領よくこなす事だけを求める。だから、受験が無かったら殆ど覚えないし、受験しか動機が無いから、これが終われば全て忘れてしまう。要は考える事をしない学生にとっては今のままでも、どうしたって成長なんてしないから何もしないのと同じだと言う事です。規律に従うとか、学校が要求することをこなす事が勉強だと思って東大や京大に入ってそのまま官僚や大企業で昇進していく事が日本の将来を約束するとは到底思えない。マジョリティを大切にして、金を使わなければ良くならない。日本の受験の頂点東京大学は官僚の養成学校としては定評があるが、世界に通用する日本の製品、文化のうち、彼らが作ったものがどれだけあるだろうか。カラオケ、マンガ、青色発色ダイオード、ファッション、これらの日本の偏差値の高い学校出身者がどれだけいるのか。あの学力の固まりのようなノーベル賞でも、世界のトップ校として東大は少ない。これからの日本を支える人材作りに国家が責任を持つべきである。

今の日本の教育は集団指導をもとに発展し、個人のニーズに対応していない。江戸時代の寺子屋は実質的には個人教育であった。5~6才の子供から12才くらいまでが一緒に学んでいた。年長が幼少の子供を教えることもあった。先生は逆さまの位置から書道の朱を入れたり、集団のなかで個別指導できた。富国強兵のためには効率が悪かったから、今の教育が悪いとは言えない。しかし、AIなどのソフトの発展においては、これでは追い付かない。日本は完璧にAIにおいては、アメリカ、ヨーロッパ、中国に二周遅れとなってしまった。これを挽回するには個人指導の徹底が日本の教育のかだいであろう。


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# by katoujun2549 | 2017-12-19 01:30 | 教育 | Comments(0)
(形を学ぶ)
日本剣道形は全日本剣道連盟の段審査の課題となっているが、その為に形は審査のために稽古されることが多い。これは残念なことである。古流の形を原点としているが、七本と小太刀の3本は江戸時代の武士の生き残りの剣道指導者が丁寧に剣道の本質を残すために各流派の極意として残すべき技を基盤に作った様式である。目的として流派の壁を越え日本刀を使う剣道の本質を伝える意図を持った文化財である。

(形から竹刀剣道を考える)
竹刀剣道との関連を直接的に求めるものではない。竹刀剣道は相手を打ち、隙を狙い、技をかける、そして、試合や日頃の稽古の基本である。しかし、礼から始まる剣道の様式は形をベースとして形成されている。形こそ日本の剣道の原点である。竹刀は刀より軽い。そして、最大の利点は安全であることだ。日本刀は一旦降り下ろせば怪我をしたり致命傷になる。やり直しがきかない。竹刀は無駄打ちが可能。竹刀剣道は安全と引き換えに本当の切り合いではないからこそスポーツの一つにもなっている。竹刀剣道は日本刀の刀法とも違う。あくまでも、身体の運用と平常心の鍛錬である。日本刀では飛び込んで面を打てるだろうか。形では全てが打太刀に応じているではないか。
日本刀は左右の手を詰めて柄を握る方が使いやすい。手の内だけで振ることが出来る。重量と空気抵抗の無い刀身から、振る時の剣先の速度は竹刀より早い。
竹刀剣道には独自の発展性がある。打突部位が限定されている。正面からの面、小手、突きが基本である。かわす技は4本目くらいだ。この事が、かつての武士の時代の戦いとは違いをもたらす。例えば刀の斬り合いは袈裟切りが早く、正面の面を打つのは難しい。竹刀の稽古を意識した形である。しかし、剣道の原点を学ぶ意義は大きい。

(形の効用)
また、効用として、形の稽古は相手を尊重し、相手と合気になり、気持ちをひとつにする意義がある。そこで、相手を尊重する関係性が生まれる。竹刀剣道はどうしても攻撃性の衝突であり、相手を尊重する目的には叶わない。剣道仲間同士は互いに相手の剣道を批判する。竹刀剣道では相手の弱点をつくから当然だ。また、理合というものは地稽古では身につけることが難しい。むしろややゆっくりとした責め合いの稽古から発展させる必要がある。例えば5本目の上段に対する攻め方はこの擦り上げが基本である。六本目の小手すりあげ小手は竹刀でも難しい。しない稽古では何故か膝をつく胴打ちは稽古しない。しかし、七本目の胴も胴打ちの理合が込められている。

(剣道学習と形)
高段の剣士が真剣に形を学ぶ理由がここにある。もちろん、直心影流、小野派一刀流などの古流も良いが、教える場所や指導者に限りがある。剣道の様式や精神性は形から生まれる。日本剣道形に限らない。形の奥行きは深く、日々の稽古が行われなければ意味がない。ただ形や順序だけを教える県連の講習会などでは到底伝えられない。機、目線、足の運び、気勢、足の引き付けなど、竹刀剣道では忘れがちな基本が身に付く。区の剣連などの講習会でこれらを丁寧に教えることが無いのは残念である。今のように、集団指導だけでは発展段階の異なる人にその剣道形の矯正は難しい。指導者のレベルもバラバラだ。必ずしも段が反映されない。欠陥のある指導体制で良いわけがない。木刀を使った10本の形が級審査に使われている。しかし、これは竹刀での稽古の基本であって日本刀とは関係がない。審査だけのための形稽古は審査が終われば忘れてしまう。さりとて、形の試合というのも基準が分からない分前向きに取り組む気にならない。形の稽古の楽しさを全面に出して竹刀稽古の基本であることをよく説明すべきではないか。

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アニメ 怪獣惑星ゴジラを新宿東宝シネマズで見た。瀬の下寛之監督作品。1117日に公開されて3週間以上経つが、1450分の回は満席だった。ゴジラは昨年のシン・ゴジラの延長線上だが、あのゴジラに地球文明は破壊され、人類は異星人の助けを得て宇宙に脱出する。初のアニメゴジラで、三部作の1作目。アニメであるが故に可能なスケールが実現している。アニメのレベルは、SFアニメの攻殻機動隊を彷彿とさせる。ストーリーはパシフィックリムとか、トランスフォーマーに出てくるような地球上の常識を超えた物質と生態、進化を行う超生物ゴジラという位置付け。時代が現代では無く、宇宙時間で万年をタイムスリップした地球という設定が面白い。その地球はゴジラに支配されている。これまでの人間が中に入って演じたり、ストップモーションで撮影したゴジラとは違うスケール感がある。評判どおり、前半は眠気を誘う。前日譚や経緯を説明するからだ。元々不合理なシチュエーションなのだから、文章で表現するのも手ではなかったか。丁寧な画像を楽しむことでも救われる。ゴジラが1万年後、異星人に教わったテクノロジーで26年宇宙を彷徨う人類の物語という設定がユニークだ。これまでのゴジラファンの想像力をさらにかきたてる作品となった。次作もヒットを伺える。しかし、物足りなさも残った。それは、従来のゴジラは必ず都市に現れる。そして、我々の日常を木っ端微塵に破壊する恐怖が無いことだ。これは核戦争の恐怖にも繋がるのではないか。これはむしろ密林のジャングルを舞台にするキングコングとかジュラシックパークの文明批判的なモチーフと混乱してしまう。

歌舞伎町の喧騒
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ブレードランナー2049も都市の喧騒や腐敗画像として重要な背景だが、アニメゴジラの世界は宇宙とジャングルなので、想像力が追いつかない。歌舞伎町を粉々にしたら面白いのだが。


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# by katoujun2549 | 2017-12-10 18:07 | 映画 | Comments(0)

新潟の直心影流 今井常固(つねかた)と山田次郎吉


直心影流の山田次郎吉の流派の祖としての力量を疑い、今井を本流とする研究があるが、あまり意味があるとは思えない。流派内で優劣を競うという事が無いし、免許皆伝とか、榊原謙吉にどこまで認められたかという事については今井に関しては歴史的資料は無いのだから。今井常固は明治大正期の新発田市の剣道を支えた剣豪。新発田は堀部安兵衛を生んだ地。

幕末の剣豪、榊原謙吉から直心影流の指導を受けた最期の剣士と言われている。当時、坂本龍馬を暗殺した一員と言われた今井信郎も同じ時期に門下にいた。後に直心影流最期の免許皆伝、榊原謙吉の後を継いだ、山田次郎吉はその後輩にあたる。山田次郎吉の時代は榊原は幕府の仕事や、竹刀稽古に関心が移り、形の稽古は弟子に任せており、山田は兄弟子の今井達とは相当に稽古を重ねたと想像する。というのは、榊原の道場は竹刀稽古主体で形稽古は行わなかったからだ。山田は形の修得も志し、師の了解を得て、同じ直心影流の山田八郎に学んでいる。当時の剣術界では既に形派と竹刀派の対立が見られたが、山田は形と竹刀打ちの関係を、両者は相反するものでなく、どちらも修めるべきとの考えを抱いていた。

山田次郎吉


1894年元旦の日、榊原より目録を受け、直心影流第15代と、道場を継承する。


当時の稽古は6尺もある大木刀を1000回も毎日振ったり、1人稽古も多かった。今井は新発田藩が直心影流だったこともあり、地元に帰り、地域の剣道指導にあたり、多くの剣士を育てた。しかし、明治になると、真剣を使った刀法は廃れ、竹刀の剣道が復活し、学校教育にも取り入れられた。剣道に取り組み、又、形の稽古を熱心に行なってきた人は分かると思うが、法定や袋竹刀の鞱の形、刃引きは互いに合気となるため、気持ちが通じ合う関係にもなる。竹刀稽古も相当にやったと思うが、今井と山田は遠く離れていたが、互いに通じて、新潟から東京に剣道の修行に行くものがいれば、山田が世話をするような関係であった。

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今井は新潟第一の剣士として、東京から招かれた強豪に対しても、むしろ一歩も引けを取らない対戦ぶりであったという。特に直心影流の特徴である呼吸の持続力を見せ、息の切れた相手を攻めきったという。中山博道もしばしば新潟を訪ねているが、推測だが、今井の存在もあったと思う。


山田は府立三中の剣道指導、一高、東京商科大学剣道師範として学生の尊敬を集めた。山田の偉大さは東京商科大学で育てた学生が実業界で活躍し、多くがトップ経営者となり、彼らが終生尊敬し続けたことでも分かる。山田は榊原謙吉から免許皆伝を受け、直心影流十五代を名乗ることを許され、剣道の流派を学問的に体系づけた日本剣道史を書いた。今井は新潟中学師範を務め、新発田という地域で剣士の育成したが、あまり記録が残っていない。しかし、新発田市から新発田中学卒業した剣士中野八十二、佐藤毅、斉藤正利、長谷川寿など、戦前派に九段範士4人を生む剣道の盛んな土地柄が彼の存在感を示している。


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トランプは長老派プロテスタント。ところが、アメリカにはイスラエルとユダヤ人を善、アラブを悪と決めつけ、ユダヤに同調する人々が5000万人もいるという。当然トランプ支持だ。トランプは彼らにエルサレムを首都と認めることを公約してるとは。娘のイワンカ夫婦がユダヤ教徒でありアメリカでもユダヤ派の右翼。イスラエルのネタニアフ首相は相変わらずパレスチナを押さえ、オバマ元大統領を無視し、ヨルダン川西岸の植民を続けてきた。パレスチナ人は反発しようにも職や医療はエルサレムに頼らざるを得ない。そこを見透かし、決断した。

トランプは126日、ホワイトハウスで演説し、公式にエルサレムをイスラエルの首都と認め、国務省に対しテルアビブにあるアメリカ大使館をエルサレムに移転する手続きを始めるように指示したと表明した。

恐ろしい事が起きるかもしれない。イスラエルは核保有国だから、今はアラブは手が出せない。北朝鮮が彼らに核を提供したらどうしようもない。その恐怖からアメリカの北への先制攻撃が正当化されたら最悪だ。

「エルサレムをイスラエルの首都と認める時が来た。これは、現実を認めるということだ。そしてこれは正しい行動でもある」

トランプ氏はまた、イスラエルとパレスチナの「双方が受け入れられる和平交渉」を目指して努力することを表明し、もし双方が同意したら、二国間で問題を解決することを支持すると述べた。これは言っていることとは逆さまで、アメリカが仲介者の立場を放棄し、クリントン以来の政策を放棄したという事だ。イスラエルを一方的にバックアップするということです。

しかし、マスコミの報道では、パレスチナ側やアラブ諸国、イラン、トルコなどの強い反発と、西欧諸国の批判に晒されている。反対意見に耳を貸さない彼はアメリカファーストの大統領だから、選挙公約を実行するだけのことと考えたのだろう。彼はいつも強気の姿勢を崩さず、壁にぶつかるまで貫くことが正しいと思っている。パレスチナの人々の苦難や反発は単なる攻撃にしか見えない。武力で押し切れる範囲と考えているか、どこかでハンドルを切る覚悟があるとは思えない。彼の思考は独裁者と同じに見える。IS I Sはコバニを放棄して脅威ではなく、イランもイスラエルを攻める気配が無い。国際的に影響力のあるメルケルも今は不人気。フランスのマクロンは新米。イギリスのメイ首相はEU脱退で手一杯だから、建前として批判はしても何も出来ない。イスラエルはパレスチナを押さえ込んでいる今こそチャンスと読んで今回の表明になったのだろう。


その影にはイスラエルの要請があるはず。今こそ彼らが最も安定しているのかもしれない。宿敵シリアは内戦、サウジアラビアはお家騒動だから身動き出来ない。ロシアゲートはしつこく追及されて、今こそアメリカ国民の目をそらすにはこれしか無い。中東がキナ臭くなれば、イスラエルが武器を買うから、また景気が良くなり、自分が支持される。もし、こんな発想と現実認識だとすると、それはとんでもない思い違いだ。困ったことに、歴史の中には、思い込みや、リーダーの賭けのような判断で、恐ろしい結果を招いた実例は多い。ヒトラーや日本もそうだった。イスラエルの作戦はアメリカを立てることによって、アラブの不満をアメリカを引き込み、自分達の負荷を減らしたい。それは、日本が尖閣や北朝鮮対応でアメリカを引き込みたいのと同じだ。自国の安全が全てのシナリオ。そこで、普段忘れてしまうイスラエルの歴史を読み直してみる。


イスラエルの存在に対して、パレスチナ国家設置と難民帰還はアラブの大義としてイラクやイランのイスラエルの攻撃理由となってきた。しかし、このアラブの大儀なるものはそもそも、かなりいい加減な歴史的経緯を持っている事を日本の報道は書かない。今日ではイラクのフセイン政権崩壊後死語になりつつあるのだが。イランは本来イスラエルと戦う理由がなく、閣僚に親イスラエルである事が分かって解任された奴がいたくらいだ。アフマディネジャドの過激な論調は国内の不満をそらすためだ。そもそもアラブの大儀なるものの正体は第一次中東戦争ーイスラエル独立戦争の真実において最近明らかになっている。ベングリオンの日記が公開された。ヨルダンのアブドゥーラ国王はシリアを自分のものにしようとイスラエルを巻き込んだ。ヨルダン川西岸含めトランスヨルダンはベングリオンと分割する話がついていてパレスチナ人の運命は決まっていた。イギリスの良い子だったヨルダンの覇権を防ぐためアラブ諸国はイスラエルを攻撃した。確かに映画アラビアのロレンスでもイギリス軍アレンビー将軍とファイサルは一緒にダマスカスに行って仲が良さそうだった。ヨルダンはイスラエルにシリアを攻撃させて、そのどさくさにシリアのイスラエルからの防衛という目的でダマスカスを支配しようとした。これはイスラエルに手を焼いていたイギリスの思惑に一致した。イギリスの中東間接統治に繋がってしまうとアラブ諸国は恐れていた。ヨルダンがシリアを諦めればアラブはやる気がない。第一次中東戦争はイスラエルを海に追い落す戦いではなかった。所詮これはアラブ諸国の王侯達の勢力争いでそこをイスラエルが善戦したため何も手を出せなくなったアラブの犬の遠吠えがアラブの大儀なるもの。はじめからパレスチナ人なんか目じゃない。彼らは今ではイスラエルのゴミ拾いかポンコツ自動車の修理でもやってりゃいいと思ってる。これがアラブの本音。「放火が実は火事場泥棒目的」というのは第二次中東戦争(スエズ動乱)でもイスラエルが使った。あの辺では一般的のようだ。イスラムも「商人の論理」だからね。シリアの動きとか。独立戦争時、開戦の4日前、アンマンでアブドゥーラ国王とユダヤ機関(創建イスラエル政府)を代表して秘密裏に「独立戦争」の落としどころきを交渉していたのは「初代鉄の女」ゴルダ・メイア。国家独立を急いでくれるな」とのヨルダン国王の要請に対し「2000年待ちました。急いでるですって?」と一蹴した。日本人の理解する「アラブの大義」の胡散臭さは次のブログがよく表している。http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/dc9f3e95edd71f668722e90cd63c9054 ここの末尾のリンク「関連記事 パレスチナ」にも出てくるが、「ブラック・セプテンバー(黒い九月)」事件がそのヨルダンのパレスチナ人に対する本音の典型的な回答。それが「ミュンヘン」事件に連なり、ゴルダ・メイアがテロの下手人たちに対する報復「神の怒り作戦=Operarion Wrath of God」を発令することになるのは映画「ミュンヘン」で描かれた。今のイスラエルは強硬派リクードのネタニアフ政権である。1


民主党政権はその外交政策でパレスチナに対する支援をうたうが、こうした歴史的経緯をどこまで学んでいるやら。アラブの本音を良くつかんだ上で外交やらなければ世界は渡れない。


4次中東戦争のこと。1973年にエジプトとシリアがイスラエルをスエズ側とゴラン高原から攻撃したが、イスラエルのヨムキプールという贖罪日で国民全体がお休みになる時を狙って行われた。我が国では産油国が石油の輸出停止と原油価格の高騰によってパニック状態になったことが記憶にあるが、その戦闘の実態はあまり知られていない。しかし、この戦争が、20世紀の世界史に与えた影響は極めて大きい。OPECの台頭、米国とイスラエルの関係が強化され、また、エジプトと当時のソ連との結びつきが後退し、パレスチナの難民の絶望的な孤立化の始まりでもある。湾岸戦争やアメリカのイラク侵攻もこの戦争に源を発している。

第3次中東戦争は6日戦争と言われ、アラブ諸国・エジプトにとって屈辱的なイスラエルの勝利となったが、その巻き返しを図ったのがこの第4次中東戦争である。この戦争後、今日のエジプトとイスラエルの関係は固定化され、国境も決まる。シリアはゴラン高原を取り戻す事ができなかった。戦況として、緒戦においてはヨムキプールの隙を衝かれたイスラエルはシナイ半島とゴラン高原で後退を余儀なくされ、これまでの連戦連勝の自信を打ち砕かれる。この首謀者がエジプトのサダトである。エジプトとシリアはソ連製の近代兵器である、対戦車ミサイルSAGAや対空ミサイルSAM,対戦車兵器RPGを駆使して大規模な戦車戦を仕掛ける。当初イスラエルはアラブ側の近代戦能力を侮り、戦線を後退せざるを得ず、不敗神話は打ち砕かれた。しかし、ゴラン高原とスエズ運河の両面におけるイスラエルの奮戦で、後半戦で押し返される。これはほんの三週間くらいの戦争であるが、その規模はかつてのナチスドイツとソ連のクルクスでの大戦車戦以来のものであった。イスラエルの反撃に対して、後押ししている米ソの軍事的緊張も高まり、まさにその代理戦争の様相を見せ始めたとき、キッシンジャーの調停策が功を奏し、第3次世界大戦への道には至らなかったキワドい戦争でもあった。イスラエルはゴラン高原での奮戦と、スエズ運河を越えた巻き返しによって危機を脱する事が出来た。このときのスエズでの英雄が後のイスラエルの首相であったシャロンである。緒戦の情報収集の誤りは時の政権に大きなダメージとなった。これをきっかけに、かつてシオニズムを軸に建国の主体であった労働党は後退し、パレスチナ政策に強硬な右派、リクードが台頭するのである。この戦いには後半イラクも参戦しており、湾岸戦争へとつながっていく。このとき既にイスラエルは核兵器も所有していた筈である。


今回のイスラエルとトランプのエルサレム首都宣言は一時的に中断していたアラブとイスラエルの抗争を進展させることになるかもしれない。アラファトのインティファーダの再開が有りうるような報道が日本ではなされている。しかし、そんな単純なものではない。ロシアはアメリカに仕返しするために北朝鮮の核ミサイルをイランに仲介するか、陸路を輸送協力するかもしれない。トランプはよくも悪くも、この事で、世界史に名を残した大統領になる恐れがある?一方、イスラエルは世界が丸焼けになろうとも、自国が安全でありたい国。当然、核兵器も持っている。アラブ諸国はこれから核兵器を持ちたいだろう。そこで北朝鮮が登場。アメリカがこの線を訴えて国内世論を高め、北朝鮮を攻撃することが最も恐ろしいシナリオである。

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剣道の昇段審査は4段以上から難易度が上がり、五段は県連主催の昇段審査では最高段位であるためか、県によってはさらに厳しい判定がある。審査基準を日頃の稽古にどう実行できるかに関しては、指導者が丁寧に説明する必要があると思う。六段以上に挑戦するには次のことを頭に入れて稽古すべきである。自分が体験、心がけたことを下記に述べたい。ご参考にしていただければ有難い。

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⒈審査基準


(審査基準をどう理解するか)

審査の基準は三段までの基準が正しい着装と礼法、適正な姿勢、 基本に則した打突、充実した気勢である。初段から3年間普通に取り組めば、誰でもこれらは達成可能である。しかし、逆に、高段審査でも、着装において、面の手ぬぐいが飛び出していたり、面紐が長過ぎ、竹刀の中締めが歪んだり、竹刀の握りが鍔元から離れたり、うっかりすると欠点が緊張のあまり露わになるから、初心者にかぎらず、要注意である。ここを間違うと審査は最初から落ちたも同然なのだ。

(4段)

4段から5段は初段から三段までの着眼点に「応用技の錬熟度、鍛錬度、勝負の歩合」を加えたものである。いずれも抽象的だが、剣道に取り組んでいるものであれば、応用技といえば、基本的な面、小手、胴打ちに加え、出鼻、抜き、擦り上げ、引き技といった技が時間内で出るかどうかがポイントである。審査の場合、これらを使って面が打てるかどうかが評価の基本である。

(5段)

 自分は5段が壁だった。鍛錬度は日頃の稽古の結果、活発な動き、気・剣・体の一致、残心、掛け声が出ているかというところで判断されるだろう。勝負の歩合というのは、間合い、攻めが打突の機を捉えているかである。1足1刀の間合いをどう詰めるかである。そのためには常に前に出る心がけが大事である。試合では下がることも駆け引きだが、審査では評価が悪くなる。自分は立ち会った時に、間合いを切るように一歩下がる癖があり、このために何度も五段を失敗した。回数は10回くらいだが忘れてしまうほど。学生の剣道から卒業し、試合に勝てば良いというところから脱出しなければならない。むしろ社会人から剣道を始め、ここまで順調に進む人もいる。その反対もけっこう多い。自分の体力に任せているといずれ衰え、そこから崩壊が始まる。再構築することをお勧めしたい。

(6段)

5段審査より一本の打ちの質にこだわりがあるようだ。面打ちがきちんと面布団を叩いているか、残心が取れているか、姿勢が崩れていないかを5段より厳しく見ている。6段は2度目で、この二点を修正、合格した。稽古を続けることから道は開ける。全剣連の主催で、審査員も八段の先生方が選定される。五段の基準を深めれば受かると思う。五段の基準の上に組み立てることで良いと思う。

7段以上)

 問題は、全日本剣道連盟主催の七段から八段までの実技審査の基準である。初段から6段までの着眼点に加え、下記の項目について、更に高度な技倆を総合的に判断し、当該段位相当の実力があるか否かを審査する。そこで、理合・風格・品位という要素が入ってくる。これが実に分りにくいのである。高度な技量とはどんなことだろうか。自分なりに心がけたことを下記に述べたい。審査員も全員八段である。ということは八段の先生にご指導頂く機会が欲しい。


(真っ直ぐな面)


 これがどんな相手でも打てるかどうかである。基本稽古のときに出来る真っ直ぐな面が、地稽古や試合になると出ない。どうしても打ちたい気持ちが先立つと、右手に力が入ってしまい、相手の中心から外れてしまう。基本稽古のイメージを定着させるように素振り、基本稽古を繰り返すしかないのだろうと思う。これを一番効果的に行えるのは切り返しではないだろうか、左右面も左手の軸をブレないで打てれば正面打ちに準ずる評価であり、試合でも一本になる。自分と同等、あるいは八段の先生にかかっても真っ直ぐな面は出ない。当然である。だからこのためには、自分より段の低い相手、初心の相手といえどもきちんと真っ直ぐな面を打っていけば稽古になるのである。剣道において、稽古の相手というのはどんな相手でも大切である。高段高名の先生の追いかけをしている人がいるが、時間の無駄。かえって無理をして気を奪われ、形が崩れる原因になっている。むしろ、指導する機会の多い方が有効である。お手本になるようきちんと打てば良い稽古になる。少年指導に取り組む方で高段をとる方がいる理由である。ただし、地方などで高段の先生からご指導をいただくことの少ない人は別である。

(タメが無いー理合と技の違い)


 理合とタメは表裏一体ではないだろうか。日本剣道形の様々な技、抜いたり擦り上げたり、は技である。理合はそこに至るまでの過程だと思う。攻めの最後の段階。打ち太刀は機を見て打ち込むが、その機を仕太刀は攻めを効かせ、導く。無闇に打ち込むのでは無い。そもそも、タメとは、何かが分からない。大ぶりな基本面打ちはタメがあるとは言わないだろう。


面打ちにおいて、必要な要素は「手の内」の冴えである。これは竹刀の握り方、打ち込んだときの絞り、打った後の体の伸び、姿勢によって完璧な面打ちができると言える。5段以上の相手であれば、普通に打っていくと竹刀で抑えられたり、受けられたりして単純に打ち込むのは難しい。技の起こりは最後まで見られないように左拳を自分の中心から外さず、剣先は相手の中心を外さないことが相手の対応を抑える動作である。一拍子の打ちができるようになれば、極力相手に近いところまで攻めを効かせて打てるだろう。一言で言えば理合に合った攻めである。相手を制圧し、結果タメのある打ちが結果的に生まれるということではないだろうか。


(打突の時に姿勢が崩れる)


 姿勢が崩れることは体力の消耗にもつながり、攻防の弱点にもなる。姿勢が崩れては有効打突も打てない。構えだけで姿勢が崩れることはないだろう。問題は打突の後である。これは、右足を出した打ち込みの後、左足を素早くひきつけることで達成される。また構えにおいて、左右の足が大きく開いていると打ち込みのときに姿勢を崩すことにつながる。また、 小手を打った後、残心が取れない。打った後瞬間的に左足を引きつければ体は崩れないから、残心をとる余裕が出る。日頃の稽古で心がけるべきである。


(体勢が崩れない構え)

 風格のある構えと言っても、なかなか定義出来ない。左手が中心から外れる打ち込まれたとき左手を上げて右手を隠せば小手も面も相手は打てない。しかし、これをやると、この形から反撃すると時間がかかり、相手も打てないが自分の攻めも消える。構えも崩れてしまうから、日頃の稽古で構えを崩さないよう集中度と姿勢を保つように心がけたい。きちんとした正眼の構えを打ち込むことは子供に対してでも難しい。相手が打つ前に竹刀で手元を抑え、凌ぎ、剣先の運用でさばくようにしたい。遅れると受けになり、次の技も出ない。面に来たら擦り上げ胴、小手に来たら擦り上げて打つしか無くなる。いずれも、審査員の良い評価にはつながらない。後手になっている感じになるからだ。あくまでも、先を取るという姿勢=動作が必要である。


(無駄打ちが無い)


 審査において無駄打ちがないことも評価の条件である。時間内に二人を相手にするが、必ず一本は打ちたい。そのためには構えで間合いをはかり、一本の打ちが成功する機会を狙うこと、あるいは相手を動かして自分が打てる距離、あいての注意を自分の中心から外すといった工夫が必要だろう。かつて、恩師中倉先生は天才であり、稽古でも八段の高段者に一息ごとに打ち込まれるほど。ところが、打ちは必ず剣先3寸の物打ちで外されることがなかった。まさに無駄打ちをしないことは剣道の品格、姿勢の保持にもつながることである。剣道の稽古や試合の目的でもある。これこそ究極の目標である。打突の好機を狙うためには良い構えで相手を崩していくしかない。どの段位でも、受験者より一歩上である事を審査員に評価してもらわなければならない。時間に制限があるからそこが一苦労だ。高齢者の立会いを見ると、初太刀に失敗して焦って自滅しているケースが多い。何度も打ち損じると、もう5段にも受からないような剣道になっている。不動心とはよく言ったものである。


(品位ある剣)

 これも抽象的な概念だが、ここに剣道の良さと目標があると思う。永遠の課題だ。これは日頃の剣道に対する取り組み方、心がけ、相手を尊重する気持ちなど、精神的な要素もあり、ここも審査では見られているのだと思う。剣道は強いということで昇段が成功するのは70歳以上では通用しない。40歳代の第一審査会場の受験者の強さは半端ではない。錚々たる剣暦の持ち主や、警察や教員の専門家も混じっているのである。彼らでも合格しない審査になぜ気力体力も衰えている高齢の合格者が存在するかである。精神面も見られているのだと思う。打ちたい、合格したいのは皆同じである。ここに剣道の良さと怖さがある。剣道が強いから人格が優れているとは思わないが、剣道に取り組む以上心がけるべきだ。狡い技、暴力的な態度は取ら無いということである。紳士的に相手を尊重し、打たれれば堂々としていれば良い。無理をすると品格が落ちる。七段は何処の道場でも少ないから、皆の注目は批判も含めて集中する。気をつけねばならないという事である。

日頃の稽古だけでは身につけることが難しい。日常生活から形成されるものでもある。具体的に稽古においてはむしろ形の稽古において考えていくほうが近道かもしれない。形の稽古は、相手の気持と合わせ、目線、呼吸、気合、機、気、礼儀、心の平常心などの要素を全て包含していると思う。竹刀剣道では忘れがちな諸点をカバーしてくれる。八段の先生方が大切にしておられることが分かる。審査のための形ではなく、この形の理合、正しい気勢、形をきちんと指導できる指導者が少ないことが残念である。県連の講習会は団体指導であるが、形の稽古は個人指導が必要である。順序や形だけではなく、理合、気勢などをきちんと教えられる機会が少ない。


以上、七段をいただいた意味は「正しい剣道」とは何かを追い求めることであると思う。自分の剣道にこれら諸点をさらに身につけるよう、これら着眼点を修行の目標として意識して取り組みたい。












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昇段審査 七段

 長年剣道に取り組んできた自分にとっておそらく最終的な課題である七段昇段を11月28日に東京武道館で果たすことができた。多くの剣道人にとって、試合に勝つことも目標だが、やはり最大の関心事は昇段である。七段が集まって100人に1人の難関八段は夢のような世界で、普通の稽古やセンスでは取ることができない領域であるが、七段までは何とか努力で得られると思う。剣道に取り組んだ人で五段を取った後ならここまでは執着したい領域。50才から60才くらいは体力もあり、25%くらいが受かる。70才以上になると歳をとってから始めた方も多く、合格率は20人に1人の狭き門となる。

 審査では2人の相手と対戦するが、1分30秒の間必ず1本は取らなければ評価されない。最初の相手は睨み合ったまま、なかなか動かない。相手が動いた瞬間、出鼻の面を先に打つことができた。残心を取った。なかなか次が出なかったが、剣先を下げた時、剣道形2本目のように、いきなり小手が見えたので飛び込み小手が決まった。再び構え直し対峙したところで止めの合図。次の方は背は高いが痩せ型だったので、体力的には行けると思い、積極的に攻めた。最初の面は中途半端だった。もう一度と思い出たところを小手を打たれたが、自分の面も打ち込んだ、さらに引いたところを面を打ったがこれは見事に決まった。審査員席が相手の背側で見えないと思い、次に出てきたところを出小手で抑えた。そこで止めの合図。

手応えはあったが、前回もあれだけ打って受からなかったので、不安も残った。合格発表に自分の番号A488があった。形の稽古はよくやっていたので自信があった。やっと取った七段であった。

 嬉しいというより、肩の荷が下りホッとした感じ。1年前から、これまでの剣道を見直し、真っ直ぐな面、トリッキーな技は封じ、相手から好感をいただける稽古を目指した。70歳近い剣道と、40歳の猛者の剣道は違う。審査員も相手を尊重する姿勢を求めている。品格といっても抽象的だが、狡い技、相手を痛めつけるような攻めは不快感を持つはず。このようなことをしないように気をつけた。ただ打てば良いというのではない。そこが試合とは違う。剣は人なりと見ている。

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     写真は全剣連ホームページから複写させていただきました。

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北斎漫画から江戸時代の剣術、柄を余して握っている。

 六段を取ったのは52歳で当時は会社勤めだった。45才で剣道を再開し、今70歳だから紆余曲折、七段まで18年かかったことになる。当時は週2回、中野の興武館で安藤宏三八段、小沢博八段のご指導を頂いた。会社の地下にも小さな道場があり、会社の剣道好きの仲間とも週1回稽古ができた。東レの柴田英一郎七段、大沼新太郎七段も加わって東レ社員クラブでの後の第2道場がが楽しみだった。週3回の体制であったが、仕事の関係で週1回になることもあり、平均すると2回がやっとだった。昇段は大目標だが、稽古を続けるということも日常的な目標である。稽古の時間を作るということが大変。18年の間、健康や生活上のことから剣道を中断せざるを得ないことがあった。六段を取って七段挑戦まで6年間は審査を受けることができない。59歳の時、日本武道館で審査を受けたが落ちた。2回受けてみたという感じで、今から思えばそんな姿勢では受かるわけがないと思う。七段はやはり、何処の道場でも指導者の立場で、六段とは違う審査基準がある。これを理解しないで受けていたからだ。鹿島で三井グループの合宿があり、そこでいつもなら、強い先生に積極的に稽古をお願いしていたが、そのときに限り気力が出ない。これは体調に異変があると思い、三井記念病院で検査をしたら冠状動脈がビラン性で11箇所も狭窄しているからバイパス手術をしなければ危ないと言われた。手術後七段挑戦はこのとき諦めざるを得なかった。柴田先生が入院中見舞いに来てくださり、七段は逃げずに待ってくれるよと励まして下さったのがありがたかった。

 家内が倒れ、要介護状態となったことも大きな中断要素で、毎日の介護で結局5年後に亡くなるまで、稽古もままならない状態となった。会社も辞めた。時間はできたが、東京医科歯科大学で修士を取る勉強もあり、結構忙しくなった。それでも、週1回は中野の上高田剣道クラブで清水薫七段、木村耕一七段と稽古は続けた。昇段は視野に無かった。その間、自分を励ましてくれた安藤先生と柴田先生が亡くなるという衝撃もあり、意欲もなくなっていたのである。

 2012年に家内が天国に召された。呆然とする日々だったが、新潟の大学に常務理事兼事務局長のお誘いをいただき、単身新潟の新発田市に移った。見知らぬ土地で何とか定着するには剣道を通してという下心で新発田市の剣道連盟の稽古に参加した。新潟県剣道連盟の会長をされていた斎藤栄先生が70歳で七段を取られて頑張っておられるのを見て自分ももう一度やってみようという気になった。新発田市のスポーツセンターでの稽古と近所の発慶館、聖籠町町民センター道場が新発田市の稽古場であった。そこで多くの新潟剣道人との出会いがあった。新発田高校の教員をされていた松川七段とも親しくおつきあいいただき、マレーシアの剣道指導にも同行させていただいた。

 新発田に来て1年後山形の審査、仙台、名古屋と受けた。昨年東京に戻り御茶ノ水の三井住友海上の百練館道場に個人会員として受け入れてもらった。自分の剣道を見直す良い機会となった。その年から、元警視庁の濱崎八段が師範となられ、毎週水曜日にご指導いただくことができた。自分の剣道はかつて母校一橋大学剣道部で師範をされていた中倉清先生のイメージが強く、天才剣士の形だけを真似たもので、今から思うとお恥ずかしい限りであった。しかし、今日まで、剣道を続けてこられたのも中倉先生の奇跡のような剣さばきに憧れたことが大きい。剣道の持つ精神的な面、礼儀、稽古の中身は忘れ、ただ打ち合って相手をやっつければ良いというような、中倉先生とは懸け離れたものであった。そのうちに、体力も衰え、病気を経て、何とも奇怪な剣道になっていたことに気がついた。打たれても良いから変えてはならない自分の剣道軸を模索し続けた。京都、長野と受けたが失敗。さらに反省。七段の先生方は皆様それなりの核心をもった剣風を持っている。そこが六段との違いだろう。稽古の時も、相手と同時に、周囲の仲間から良い立ち姿、素直な面打ち、打突の機会を作る工夫を自分なりに研究し、身長の低さ(154cm)を乗り越えて攻めを利かす工夫を続けた。百練館の七段の皆さん、小名木、小田、高津、植松各氏からは厳しいご批判と、心のこもった激励を受けた。一橋剣道部の同期の内藤君は既に八段挑戦中。都剣連副会長と全剣連の役員となり、彼の接する八段の先生方のご意見などを寄せてくださり、自分にとって良いアドバイスとなった。日本剣道形は世田谷剣連の藤野七段女史のご指導を毎月1度お願いした。自分は、体格にも恵まれず、剣道では無才ではあるが、一流の師、素晴らしい剣友に恵まれた。段を頂かずとも有難いことであった。東京に戻って5回目で何とか頂いた七段、これからも品格ある剣道を目指し、皆からお誘いを受けるような交剣知愛を続けていきたい。

 

 


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ホラー映画「I T


新宿ピカデリでI Tを見た。1990年のスティーブンキングの原作のI Tリメイクしたもの。最近、ハリウッドは種切れか、やたらリメイクやパート23とか続編ものが多い。その中では秀作だろう。前作よりはるかに怖い。デイトで、怖くて不安な彼女の手を握って一歩関係を前進させるチャンス。1915分の遅い上映時間にも関わらず、満席。ほとんどが若いカップルとか、大学生くらいの友達連れだった。ホラーものだから、一人では怖くて仲間が欲しいくらいに「怖い」という評判なのであろう。恐怖映画は汚い、キモい、怖い、不快、悲しい、グロさ、エロい、けしからん、バカバカしい、といった要素からなる。その意味で、全てをこれでもか、とばかりにこの作品は見せてくれる。時代は1986年代に戻って、時代考証がなされている。前作の恐らくはメイン州の古い町や街並みが再現されている。

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前作より今回の 道化師のクラウン怪人ペニーワイズは遥かに狂暴な悪魔である。前作ではもっとひょうきんで、それが怪しい恐怖感を出していた。この殺人ピエロは実在の子供殺しがモデルで、子供の誘拐や苛めはアメリカ人にとって現実味を持った恐怖。ジョンウェインケイシーといって33人もの被害者を出した伝説の連続殺人鬼。彼はチャリティーパーティーでピエロに扮していた。ピエロが怖いというモチーフは日本人にはピント来ないが、実際に起きた連続殺人事件やアメリカではよく子供が行方不明になるから現実味がある。日本ではお馴染みのピノキオは誘拐されるが、アメリカ人にはこの人買いに恐怖感があると聞く。ピノキオはホラーなのだ。

殺人鬼 ケイシーが書いたピエロの画。


前作がテレビ用に作られていた。この作品の主人公は子供たちである。スティーブンキングの名作、スタンドバイミーを彷彿とさせる、気の弱い、いじめられっ子と日本では信じられないくらい凶悪ないじめっ子の抗争が伏線になり、無関心な大人達が醜く描かれている。子供たちは大人から無視され、歪んだ欲望の的に晒されている。互いに憎しみ合う世界に弱虫連盟と自嘲するいじめられっ子達は団結し、I Tと戦う。ITは親達、あの汚い下水道はこの世の象徴である。子供達の友情と勇気こそ、未来を切り開くという結末が救われる。しかし、この映画は第1章としてエンドがあり、27年後、彼らが中年になって再会して、再びI Tと戦う次作が予見された。2019年に公開予定で製作中だそうだ。ストーリーは第1作が基本となる。自然豊かなアメリカの住宅地、石切場の水浴シーンなど、前作を想起させるように同じロケ地となっている。アメリカの平和な田舎町には秘められた邪悪な過去がある。人種差別、事故、醜悪な殺人事件など。スティーブンキングのテーマだ。前作よりCGなどが格段に進歩しており汚い下水や気持ち悪い腐敗感が再現されている。今回は子供達だけの物語となっている。悪趣味とグロ、下水とか、おぶはスティーブンキング作品の主要なモチーフ。


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# by katoujun2549 | 2017-11-27 00:31 | Comments(0)

2017年11月26日(日)13時30分~15時
キリスト教信徒で構成される音楽集団ユーオーディアの皆様による木管五重奏の集いが行われた。菅井春恵フルート、姫野徹オーボエ、柳瀬洋クラリネット、今井潤子ファゴット大森啓史ホルンによる演奏。デーヴィス作the Little Drummer Boyからはじまり、8曲+αの曲目が演奏された。100人を越えるご家族連れが教会に集った。子供達も多く、多少騒々しいかと思いきや、演奏者のご配慮で楽器解説もあり、at homeな会となった。小さな子供の育児を抱えているとなかなかコンサートには行きにくい。多くの小さな子供連れが
加わったが、意外と静かに皆さん聴いてくださった。ファルカシュのハンガリア舞舞曲集団、イベール3つの小品、ラッターのスターキャロル~クリスマスララバイ、聖歌、クリスマス讃美歌など飽きさせない構成であった。普段の礼拝には30名ほどだが今日は140人を越す聴衆となった。
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140人を超える聴衆がつどった
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各奏者はトップクラスの実力派で、演奏の内容が素晴らしく、小さな子供も聴き入っていたのではないかと思った。教会は大抵音響効果も良い。小さな音楽団体の演奏の場になることが増えつつあるのだが、教会の会堂という場では、やはり、演奏者の信仰とか、キリスト教の伝道という要素を見失わないよう、演奏家の意図や考え方も考慮して、教会は適切な演奏者を選ぶべきだと思う。その意味でも柳瀬洋さんの証しもあり、充実した内容だった。



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ヘンリー・セリック 監督脚本の作品。彼はストップモーションアニメの達人である。ナイトメア、ビフォークリスマスや、コープスブライドなども彼の作品。これらはティムバートンと思っていたが、ほとんどが、セリック監督の気が遠くなりそうな、作業を積み重ねたアニメ作品。

声の出演者 ダコタ・ファニング、テリー・ハッチャー、ジョン・ホッジマン、キース・デイヴィッドなど。音楽 ブリュノ・クーレ

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上映時間 100

コララインは両親と新しい街に引っ越して来る。二人とも仕事が忙しくてちっとも自分にかまってくれず不満に思っていた彼女は一人で外出すると、ワイビーという少年が黒猫と共にどこからともなく現れ、また姿を消す。コララインは退屈しのぎに築150年のアパートの探検を始め、その最中に封印された小さなドアを発見する。


『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』の鬼才、ヘンリー・セリック監督が手掛けるダークで幻想的なアニメーションが、異次元のパラレルワールドを見せてくれる。

そこにはコララインの両親そっくりの夫婦が、コララインの望みの生活を体現させてくれる。ところが、彼らは自分の両親と違い、何と目がボタンなのです。

世界中で愛されている同名のファンタジー小説を映画化し、パラレルワールドに迷い込むヒロインの冒険と成長を生き生きと描く。主人公の声を担当するのは名子役、ダコタ・ファニング。

ダークな異次元世界が展開する。ボタンの目をしたココラインのママは実は蜘蛛の化身の魔女だった。本当の両親と近所の3人の子供が魔女により、囚われていた。ココラインは猫を仲間に、敢然と魔女に立ち向かう。

不思議の国のアリス、マルコヴィッチの穴など、穴を潜ると異次元世界には入るアナロジーは昔から空想のメタファーだ。パラレルワールドも海辺のカフカとか1Q38など村上春樹の作品に使われている。アリスの不思議な国は全く別の世界、トランプの女王に支配された国、マルコビッチの穴は空間をショートカットし、他人の部屋や遠隔地に通じていた。海辺のカフカと1Q38は時間を超えて異次元世界に繋がっていた。

空想の産物だが、知的な冒険を感じる。タイムスリップもその一つだ。





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# by katoujun2549 | 2017-11-19 11:53 | Comments(0)
今年はロシア革命という世界史上の大事件後100年になる。その割にはロシアで祭典や大きなイヴェントが少ない。プーチン政権は、ロシア革命を大々的に祝賀できない理由があるのだろう。というより、プーチン政権はかつてのツアーリズムが強いロシアを再生するという思想を持っている。独裁者は失敗してきたのだが、歴史は逆流している。王朝や帝政という権力支配が見直されている。中国も習近平王朝、北朝鮮も金王家に支配されている。
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自分が20代の頃まで、また歴史の学習においても、さらには、マスコミもロシア革命は善であった。民衆が共産党を選択し、党に権力を集中したという理解が行われて、高校時代、社会の教師は歴史の必然だとも言い切った。ところが、革命を推進したはずのスターリンが批判され、ソビエト連邦が官僚制と共産党独裁の名の下に恐怖政治を行ったたことへの拒否感がロシア革命の評価を下げた。ペレストロイカとグラスノスチの結果、情報が公開され、真実が明らかになった。スターリンの批判から、更に今ではレーニンの恐怖政治も公表され、革命は国民に悲惨と暴力、さらには死をもたらしただけのものという見解が生まれた。
ところが、今、ロシアでは若い人逹にスターリンを評価する動きがあるという。独ソ戦を指導しファシズムに勝利したという功績を評価したのであろう。それにしても、ロシア革命におけるロシア人の犠牲は膨大で、独ソ戦以上の悲劇だったのかもしれない。にもかかわらず、恐怖の立役者を評価するという国民性を日本人は理解できない。強い者が正義という恐るべき国民感覚である。土着の国民性は克服出来ない。日本だって、諦観という観念は根強い。

1917年ロシア革命がレーニン、トロッキーのリーダーシップによりケレンスキー政権の打倒に至ったことは事実だが、実相はかなり我々の常識とは違っていた。第一次世界大戦にロシアは疲弊していたが、ケレンスキー政権は好戦的だった。ドイツの参謀、ルーデンドルフはレーニンを亡命中のスイスからモスクワに送りこんだ。多額の活動資金付きだった。彼は敵国ドイツの手先だった。ボルシェヴィキと赤衛軍を組織し、民衆や軍を動員し、革命を成就させるというイメージがあるが、それは後に作られたもの。実際は一部であって軍を掌握してはいなかった。10月革命の映像で、大部隊が正門から感動的に総攻撃するシーンがあるが、これは後に作られた映像で、実は違う。ペテルブルクの冬宮を攻撃したのは小部隊であり、裏口から、急襲したクーデターだった。大した戦闘もなく偶然にも成功してしまったのだ。ケレンスキー政権を逃亡させ内戦に突入した。3月に皇帝を逮捕して権力を握ったレーニンは、広大なロシアの掌握にかかる。そのため、労働組合や、宗教組織を利用し、ソビエトを編成した。ソビエトとボルシェビキに権力を集中したが革命の意義を民衆に伝えて教育する余裕は無かった。都市労働者と農民を味方につけるためにレーニンは土地の分配を行った。
 ブレストリトフスク条約を締結、ドイツと講和すると、バルト三国、ベラルーシ、ウクライナを失った。ウクライナは独立宣言しソビエトに戦争を仕掛けてきた。散々な結果になるが、民衆を説得するため、レーニンは、フランス革命のジャコバン党の恐怖政治を学び、これを徹底し、軍を掌握することに専念、成功する。革命の実態を知る最初の支持者は逮捕され、収容所ソルベッキー島に送り、多くは処刑された。ロシア革命は最初から、殺戮の恐怖にまみれた政治によってはじめられた。1922年のソビエト連邦成立以前から秘密警察によって、理想社会の建設を大義名分に政権内部のエスエルやポルシェビキまで巻き込んで粛清の嵐は第2次大戦まで吹き荒れた。軍を維持するため資金が必要だが、工業が未発達なロシアは農産物や材木を輸出することしか道が無かった。そこで農民の搾取が始まり、反抗的だったウクライナは300万人の餓死者を出した。革命によって土地を与えられ、生産に励んで成功した農民、技術を持った農民は富農として虐殺され、貧農ばかりがコルホーズで集団生活を余儀なくされた。これが、革命の実態だった。惨めな状態を隠すため、エイゼンシュタインなどの芸術家が動員され、捏造報道とプロバガンダ映画が作られた。

 日本の共産党もすっかり騙されたのである。彼らのユートピアは実は奇妙な思想に基づくものであった。ニコライフィヨードロフという人物の宇宙主義思想。レーニンは死後クレムリンに遺体保存処理され、祀られた。まるで、エジプトのミイラではないか。実は同じ考えだった。将来生命復活技術が発達し、その時レーニンは復活するという信仰があった。いや、人間は不死になるため、 地球は人間で溢れるだろうから、宇宙に居住するしかない。そこで、革命後、宇宙開発が始まり、ツィオルコフスキーの大気圏脱出のロケット技術が生まれた。ソ連の人工衛星と有人衛星があれほど早く開発されたのはロシア革命以来の研究の成果だったのだ。
1917年以降のロシア革命やレーニン、スターリンの政策や悲惨な国民の状態はここでは述べない。多くの証言者は既にこの世にいない。生き残って歴史を知らない連中が、ロシア革命やスターリンを賞賛してるに過ぎない。既にレーニンは最悪の指導者になっている。ロシア革命が祝賀されない理由があるのだ。今のプーチン政権はかつてのツアーの復活がロシアを再生させると信じている。



ロシア宇宙主義 
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六本木の東京ミッドタウンのフレンチレストラン、フィリップミルに昼食で行った。通訳業をされているA.H.さんの紹介で久方ぶりのフレンチだった。1人身になると、フレンチと鍋料理を囲む機会が無くなる。彼女にも付きあっていただき、楽しいひとときでした。フレンチとしてはきわめて淡白な味付け。シャンパンのデリケートなテイストとのバランスを考えているのだろう。鱈を蒸したクリームソースの一品が印象に残ったが、食べるのに夢中で写真に撮りそこなった。シャンパンも1本開けてしまった。酔ったせいか、女性を前に気が大きくなり、値段も気にならなくなった。夜は市川本八幡のベトナム料理屋で同期会だから早々に引き上げた。本当は上のリッツカールトンでコーヒーを飲みたかった。

フィリップミルはミッドタウン4階のテラスのあるお店で、オリーブの木が植わっていた。フランスの本店は2つ星だそうである。サンフランシスコ郊外のソノマではワイナリーの周囲にオリーブが植わっている。夏のカリフォルニアに思いを馳せた。アメリカ人になった親友SH夫妻とメキシコ料理屋に行ったが、ジョッキに入った大量のマルガリータと強烈なボリューム、時差ぼけでvomitingしてしまった。酒も安いから欲張りすぎた。

ミッドタウンのテラスにはメキシコ料理のLaColinaという店があったが見当たらない。どうも閉店になったようだ。家族連れが多かった。メキシカンでは価格が出ない。高い家賃がネックなのか。しかし、家賃が高い店は必死で工夫するから内容は悪くない。価格を別にすればだが。いずにせよ中途半端ではうまくいかない。難しいところ。

フィリップ氏はシャンパーニュ地方「レ・クレイエール」のシェフに就任するやわずか2年でミシュランの二ツ星を獲得する実力。
氏の料理は、伝統的な基本を守りつつも現代的なスタイルを取り入れた正統派フランス料理であり、フランス料理界における「グランド・キュイジーヌの大いなる希望の星」と言われるほどの人気シェフ。11月28日には来日、当店で技を披露するらしい。美しいアレンジに感動した。平松氏の特注シャンパンがデルモッテで作られている。あっさりした淡麗なテイスト。新潟の日本酒を思う。ワインショップなら1本6000円位だが、ここなら1万5千円だろう。シャンパンは一人で飲んでも美味しくない。美女と絶品フレンチでドンペリなみとなる。そう思えば高くはない。イエス様はカナの婚礼で水を上等の葡萄酒に変えてしまった。奇跡!、愛の語らいがあれば、水も酒と化す。最高のシャンパンだった。
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          平松の名前の入ったデラモット・シャンパン
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前菜のお焦げのようなカリッとしたボール


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真鯛のカルパッチョ 美しいアレンジ
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チキンだと思うが淡白で上品
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華麗なるデザート

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公開後4日目新宿のバルト9でブレードランナー2049を見た。163分の長編だ。海外では、前作の価値を損なわないクオリティとの評価を受けた。大体、続編は前作を凌ぐケースは稀で、二作目はオチャラカが多い。今回はしっかり引き継いでいるという評価。

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映像美が素晴らしい。荒廃したLA、変な日本趣味も引き継いでいる。リドリースコット監督の1982年の名作、ブレードランナーの続編。レプリカント狩警官のデカードはレプリカントのレイチェルと疾走したところで、前作は終わった。35年後、ララランドのライアンゴズリング演じるKがデカードの消息を追う。彼の控えめな存在感がほど良い。すっかり爺様になったリックデカード役のハリソンフォードが登場した。監督はブィルヌーブ。脚本はエイリアンコブェナントのマイケルグリーントいうので不安になった。彼の編集したエイリアン最新作は前作プロメテウスを見てないと分かりにくかった。このレプリカントというのは人間とどう違うのか?この作品はものすごく金がかかっていると思うが、そうしたところやCGの映像部は長尺のシーンが多く物語の流れが悪くなる。エイリアンもそうだった。これは実存主義や哲学者ビトゲンシュタインの問題ではなかったか?というところまで掘り下げてもらいたかった 

人間はどこから来て、どこに向かうのか?リドリースコットのテーマである。この哲学的テーマを映画で語ることは可能でしょう。しかし、読み解くにはあまりにも難題であり、映画という言語では伝えきれない。


Kは自分の出生の秘密を探る。2023.6.21という数字は生まれた時か?レイチェルは子供を産んで死ぬ。レプリカントが妊娠した。女性のレプリカントがかくまわれている。Kはその彼女と出会うが、まるでどこでもドアみたいに彼女のところに行くのだからびっくり。人間の記憶がコピーされるのか。このテクノロジーがすごすぎ。2049年にどこでもドアみたいなものが出来るとは思えない。

ウォレス社という会社はろくでもない、悪巧みの会社。レプリカントの反乱て前作のタイレル社は解体された。LAは以前核テロで大停電となりデータが消えレプリカントも次のバージョンになった。ウオレス社は次世代型の長寿命レプリカントを開発し、レプリカントによる世界支配を狙う。このあたりの経緯に関して、3つの短編映画が作られている。渡辺信一郎監督のアニメ2036。ネクサス・ドーン、ブラックアウト2022」補足の短編がこれだけ必要なのは編集の失敗だ。


記憶を可視化したり、実体と虚像が同期して、Hしちゃう。そんなテクノロジーが32年後に生まれるとは思えない。まるで麻薬の世界。女レプリカントのブレードランナーの登場も凄い。Kは何処にデカードがいるか突き止める。ミツバチの養蜂所の奥の館。デカードの所在を求めて Kは館に入る。そこにハリソンフォード演じるデカードがいるが、かなり暴力的な迎えかた。 Kがレプリカントなら弱すぎ。


ラケル の名前が登場。ラケルは旧約聖書の『創世記』に登場する女性。ヤコブの妻。父はラバン、姉はレア。 『創世記』によれば、兄エサウから逃れて伯父ラバンの元へきたヤコブはラケルを見初め、ラバンの「七年働けば結婚を許す」という言葉を信じて働く。ところが結婚式を終えて花嫁を見るとそれは姉のレアであった。

ロスに雪が降るんです。地球温暖化で海面水位が上がり巨大な堤防で街は守られている様子。人類とレプリカントは対立しているようなら作らなければいいのだが。突然レプリカントの反体制グループが登場、Kに真実を伝える。


デカードの住んでいるのは60年代の街みたいである。プレスリーがモノグラムに出てくる。3Dジュークボックスにシナトラが現れたり。未来テクノ満載でした。こんなところに金がかかっている。偽のレイチェルが登場するが、デッカードに見破られるとウオレス社の殺し屋レプリカントがアッサリ銃殺。だからR指定なのだな。レイチェルどうやって撮ったのか、昔の美しい映像そのまま。銃殺は漫画。美貌女優ショーンヤングは一時奇行でお騒がせ女優と言われたこともありましたが、最近も健在でyou-tubeのテレビインタビュウでおばちゃんぶりを披露して、美しさは相変わらずです。


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# by katoujun2549 | 2017-11-01 00:18 | Comments(0)
中国は共産党大会で習近平独裁の方向を明確にした。習近平が良識ある指導者であっても、彼の立場を利用して対外的にも他国の迷惑を意に介さない傍若無人な事象が出てくるだろう。かつての日本も天皇陛下の名の下に虎の威を借りた権力的な輩が軍や警察、一般人の中にも多く現れ、世の中を苦しめた。

習氏が大会開幕日に読み上げた政治報告は「中国の特色ある社会主義」が新時代を迎えたと強調し、約30年後の建国百周年までに「社会主義現代化強国」を構築すると宣言した。これから行われるであろう事象は、体制の正当性を示すための歴史の捏造や、嘘で塗り固められた習近平の政策の成果である。日本への圧力は歴史認識や領土問題など強まり、理不尽な出来事が増えるはずである。中国というのは国内を見ると、カオスであるが、対外的には全く自分勝手で迷惑な連中である。一帯一路で中華帝国の復活を狙うのは勝手だが国際ルールに則りチャレンジしてもらいたい。

韓流ドラマで驚くのが、彼らの世界も歴史も噓で塗り固められたような筋書きである。整形で顔まで変形し、自分の名前を偽り、陰謀を企てる男女のしがらみの攻防は韓流ドラマとして人気がある。いわゆる韓流ファンはこれを見て奇異に思わないのだろうか。実にいいかげんなストーリーなのだ。韓国人の頭の中身がこんな調子だとすれば相当用心しなければならない。歴史の歪曲は彼らのお得意技。特に、共産主義者達のプロパガンダは、写真の偽造にはじまり、学校で教える歴史に至るまで、出鱈目で塗り固められたものだ。こうした中で、日本は国際交渉も行なわざるを得ない。
 噓は彼らには戦術であり、方便、不正も手段なのだ。民族の抗争、大国の支配の中で生き抜いて来た彼らには他の国や他民族に嘘をついたり、罠にかけることは正義でもある。我々日本人は厳しい国際的な緊張には慣れていないし、そうした中から生まれた強力な自己主張に押されてしまう。尖閣諸島の領有権、慰安婦問題が良い例である。
韓国文化、竹島問題、日韓併合、慰安婦問題、韓国経済の評価、拉致問題、北朝鮮の核武装、日韓の重大問題において日本の認識を誤らせるあらゆる出鱈目が煙幕のごとく張り巡らされている。これらを解きほぐし、幻想を打ち破り、覚醒しなければ日本人は国際社会では生きることができない。
 北朝鮮による犯罪行為、拉致被害者は韓国においては政府の公式認定で拉致された人数は486人であり、日本人の17人を遥かに越える。また、他国にも被害者がいる。しかし、最大の人質は日本からの帰還者である。1959年に最初の帰国船が新潟県の新潟港から出航、1984年まで続いた。93,340人が北朝鮮へと渡り、そのうち少なくとも6,839人は日本人妻や子といった日本国籍保持者だった。その親族は多くが日本に住んでおり、いわば人質状態で、北朝鮮政府から脅迫的な送金を強いられている。誘拐された日本人17人だけの問題としてこれを対応しようとすることは全く解決の道から外れる。取るべき方法ではないのである。北朝鮮政府ー金一族の失脚しか解決の道がない。彼らの拉致を正当化しているのが、これも強制連行とか、慰安婦問題が存在したとする捏造的歴史観から来ている。今我々に出来る事は、この歴史認識を正す活動を国際的に行なう事から始まるのである。

戦争は悪である。日本がこれまで以上の武力を持つことも危険である。しかし、外交も武力を背景に行われてきた。話し合いが必要である。しかし、犯罪行為や脅迫が話し合いで解決できるだろうか。犯罪は刑事事件として警察にお願いするしかない。しかし、国家間という世界には警察がいない。力のある大国が武力で威嚇し交渉するしかない。わが国が自力で中国や北朝鮮に対峙するには戦前のような軍国国家になるおそれがある。徴兵制も必要である。唯一の被爆国である日本が本来核廃絶を訴えねばならないが、核保有国として対応せざるを得ないのである。

弱肉強食のジャングルがお隣の実態に対し、わが国は日米同盟という選択をしている。この現実が対米従属にならない努力が安倍外交に求められている。今後のアジアは中国の勝手な振る舞いに悩まされ続けるだろう。

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離学者対応


比較的低偏差値の私立大学の頭痛の種が離学者の増加である。受験の際に滑り止めに幾つかの大学を受けるが、本命に入れなかった場合、浪人するか、不本意入学し、途中で退学して本命に再挑戦する学生がいる。また、入ったが合わないということで授業に出なくなり、辞めてしまう。これは

双方にとって残念なことである。そのために、入学前スクーリングや合宿などいろいろな対応策を学校側も練っている。 


そうした大学の場合、勉学の目標設定が出来ていない学生が多い多いと推定する。そのような学生は半数はおり、その中から100人もの学生が大学から出て行くのは異常。滑り止めで受験した学生だけでは無い。入学しても4年間を過ごす意欲や期待を持っていないという深刻な課題になんとか解決策を見つけることが、財政を立て直す課題である。辞める学生がどこに行くのか、何故かは大学も分析されているだろう。自分は内容を見ていない。しかし、解決策はそれほどあるわけではない。そうした学生が期待や希望を持ち、充実した4年間を過ごし、職業選択に満足出来ればかなり歯止めがかかる。学問の体系や、カリキュラムを彼らが満足するよう組み立てるのは容易ではない。少なくとも、アカデミックなとりくは返って抵抗を受ける。そのような学生は勉強の意欲や目標も希薄で、勉学の習慣も乏しいことが推測される。また、成功体験が少ないため、興味が続かない。何とか、残った学生はリベラルアーツ教育で送りだし、学士のクオリティを守る。

留学生も同様である。彼らを満足させるには、

1.勉強以外の楽しみを与えること。部活などの充実も有効

2.実用的で社会に出て役に立つ職業訓練の科目、漢字検定、販売士検定、秘書検定や

 簿記三級などの支援講座の充実

3.心理カウンセラリングを通じ、大学生活のビジョンを学生に与える

4.保護者の理解:途中退学の不利を訴える

5.意欲の無い人を育てることは難易度が高い

 経営にしても、勉学にしても最難関の課題であることを再認識し、退場してもらうことが、効率としては良い。それが企業では常識。そのことが本人にとり、大きな損失であることを教育すること。また、教育の質を維持する。



                                    以上



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# by katoujun2549 | 2017-10-20 12:05 | Comments(0)
 我々人類はどこから来てどこに行くのか、リドリースコットの大きな問題意識である。この壮大なテーマを映画で表現すると、エイリアン、ブレードランナーといった彼の作品につながる。エイリアンプロメテウスはあのスペースホラー映画エイリアンにそのようなテーマを結びつけた作品であるが、テーマが大きいために、見事につまらない作品になっている。1979年の第1作エイリアンに登場するギーガーがデザインした宇宙船や怪しいインテリアデザインがふんだんに表現されており、見ものである。リドリースコットのような巨匠は大きな資金で制作できる。しかし、資金回収も要求される。だから、その分、時間の制約や見せ場など、編集が観客を集められるかどうかという、別の視点からなされて、監督の伝えたい部分に制約が生じる。この作品も説明不足な箇所が多い。興行的には成功した。
 エイリアンが何故生まれたのか、人類を生んだ別の人類が、地球を滅ぼすために送り込もうとした新生物が登場するのだが、まるで、幼生は蛭で、それが成長するとほとんどタコではないか。このあたりが、全く失望である。エイリアンのすざまじい攻撃力と昆虫のようなグロテスクな姿にはつながらない。欧米人はタコとか、イカのような日本人が寿司種にするような生き物に恐怖を感じるようだが、タコに我々はさほど驚かない。


異星人の宇宙船内部
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宇宙人の船が撃墜される。
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 2ヶ月前に放映されたエイリアンコヴェナントを見たが、あのエイリアンが一体何でこんな形で登場するのかが分からなかった。人類より古い異星の「人類」が登場して滅亡する姿が描かれた。これが一体何を意味するのかが分からなかったが、この作品で説明されている。

 前日譚となったプロメテウスであるが、2012年、このプロメテウスの謎とエイリアンの成長を描いたのがエイリアンコヴェナントであるから、これを見ないと映画はおもしろくない。

 ストーリは大きなテーマを重ねすぎていて、説明不足だが、ホノグラムや宇宙服などデザインは素晴らしい。サイボーグのデヴィッドが何とも不可解な行動に出る。人間に忠実だが、彼を支配しているのが彼を作った社長であったり、彼が最後は異星人のエンジニアに頭をちぎられても、脳機能を失わないなど、かなり飛躍もある。このファスベンダー演じるディビッドなるサイボーグが曲者で、次のコヴェナントにも登場する。エイリアンは最後に登場するが、異星人エンジニアとタコ風の生物の合体なのかよく分からない。死んだとされた社長は突然現れ、結局異星人に殴り殺される。なんだか、内田裕也にそっくり、また、病原菌のような液体の実態もよく分からないまま、乗組員がやたら殺されていく。異星人の宇宙船がプロメテウス号の特攻によって破壊されるが、このあたりも船長の死を賭した決断が安易に表現されている。これだけのデザインや異星の姿を背景に持ちながら、勿体無い作品である。

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# by katoujun2549 | 2017-10-20 08:34 | 映画 | Comments(0)

1小池旋風


この1年、小池百合子の大活躍の年であった。舛添氏の下らない不祥事のお陰で、舞台に躍り出た。中高年女性の星として都知事選は勝利し、1992年日本新党から転じ、新進党、保守党、自民党と権力の海を渡ってきた。その感度は抜群。細川、小沢、小泉と渡り、サーカスのように上昇した。環境大臣もつとめ、クールビズとか、新味があったが実はマスコミを使ったというより支援を受けた。残念ながら防衛大臣は辞任で防衛問題に見識があるとは思えない。安部石破対決においては石破についたため、安部から干され、未来の女性総理候補は稲田、野田の後塵を配する事態だった。


2キャスター出身の彼女


マスコミの依怙贔屓の支援は今も続いている。マスメディアの動きと民衆の反応にあれほど敏感な政治家は少ない。第二自民党ではなく希望の党こそ第一保守であると豪語する。今なお

衆議院選挙の目玉である。凄い!その権力志向は際限がない。顔に表れた三白眼は挑戦的、今なお総理の座を狙っている。野田とか、稲田のような小娘が何言ってんだよ・・とばかりに、二階や石破を恫喝し、民進党を解体に導き、細野、若狭などはぶっ飛ばし、民進党首の前原を骨抜きにしてしまった。自分を見限った安部には挑戦状をたたきつけたのだ。無能の代表、前原は民主党の中で弥次郎兵衛のように浮遊し党首にまでなった。無所属で自分の選挙はクリアーできても自民党一派閥のような希望の党に吸収されて存在感がない。昔はこのような人物はバルカン政治家といった。ユーゴやセルビアのような複雑な状況を泳げることが存在感であり、国民を幸せにする政策があるわけではない。言うだけ番長というアダ名もあったが、今回大決断をしたのは良いが、大失敗。結局は自己中心なのである。小池は今回都知事の職を放棄することが自分に不利になると悟ったとたんに、衆議院選挙参戦から手を引いた。お陰で、かつての日本新党ブームや小泉チルドレンをイメージした新人候補は軒並み落選する。あの時は党首が首相候補だった。勝ち馬なら乗ろうとする党首に信頼感がない。都知事選のような風は吹かない。


3選挙の行方


旧民主党で地盤がある政治家も希望の党で苦戦している。今回の選挙は旗色鮮明にした立憲民主党が反自民票を集め、希望の党に行った旧民進党員は割りを食う。自民は善戦するだろう。一体何のための解散総選挙だったのか、安部政権の無駄使いに上乗せ、北朝鮮の危機を煽り日本を危険にさらす嘘つき政治、アメリカのトランプに追随し、かつての日独伊三国同盟に便乗した叔父貴の岸信介の道をたどる。消費税を上げ、軍事費をかさ上げ、国民経済は疲弊する。教育無償化を餌に、消費税を上げ、財政再建は忘れて軍事費に回す。北朝鮮の危機が口実である。我が国の借金地獄は物価上昇で隠蔽する腹は黒田日銀総裁との悪巧み。ヒトラーがシャハトを使って見せかけの財政改革をやった手口を真似ている。要は借金踏み倒し政策なのである。小池氏は情報公開、ストッップ安部とかのたまうが、実際は自分の権力欲を満たすための方便なのだ。


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トランプ大統領が意味深な発言を繰り返している。このままでは戦争への道を歩んでいるようにも見えるが、これはあまりにも両国にとってマイナスしかないから、直接攻撃する選択肢はないだろう。攻撃なら空母カールビンソン、ロナルドレーガンは日本海にいなければならないし、空母は最低5隻は行かねばならない。韓国の斬首作戦など情報が筒抜けで漫画の世界。アメリカは朝鮮半島にいる12万人といわれるアメリカ人を避難させ、戦闘のインフラを整備するのに2ヶ月はかかる。日本人は6万人、中国人は20万人はいる。おそらく、北朝鮮に対してはトランプのサプライズがあるはずである。
 
あるとすれば、トランプー金正恩会談だろう。電撃的な会談が11月の日本訪問の際に、北訪問が行われることがなかった。トランプは何とか金を国外に引きずり出す。トランプが行って金が行かなければ無礼、臆病で笑い者にすれば良い。いずれにせよ、既に段取りのできた日本、韓国、中国を訪問した後であろう。ロシアが協力するかだ。その時各国と調整をするはず。日本も小泉首相が電撃訪問し拉致問題を一歩前進させた。その時、安部首相も行っている。安部首相がトランプとゴルフをしたり長い時間接触し、その時の話をトランプに話しているはずである。話さないわけがない。なぜこの推測をマスコミは言わないのだろうか。報道管制されているに違いない。

これは自分の勝手な予測である。トランプは直談判の好きな、新興企業経営者で、重要なことは自分で行わなければ気が済まない人物だ。交渉力には自信がある。多分、そこでは何も決まらない。若干の譲歩はあるかもしれない。北のICBM製造中止くらいはあるかも。アメリカにとっては、北のミサイルや核はテロリストに売られる恐れもあり、何としてでも止めさせねばならない。ユダヤに支配されているアメリカにとって、イスラエルの防衛も視野にある。
例えばB1の飛行は行わないとかの譲歩はあるだろう。そのために今やたらB1は北朝鮮に接近した演習を行っている。しかし、その狙いは実は別にある。トランプというよりアメリカの軍事筋は金正恩を凶暴な、かつてのカダフィやフセイン、オサマビンラディンと同列に考えているに違いない。そこで、何とか、彼を国外に、例えば中国に引き出し、中国政府に監禁させる、または、西側であればスゥエーデンあたりに誘い出し逮捕してしまう。かつてはパナマのノリエガを逮捕した。金正恩が張成沢をあれほど残酷に粛清したのは実際に中国と結託していたかもしれない。だから、金正恩は絶対に中国に行こうとしなかった。中国と冷えた関係であるのはその警戒感の現れである。そうなれば、中国での逮捕は無理である。暗殺は警戒が強く無理。ご招待で逮捕という道しかない。
そこから、北がどう出るかは分からないが、金タマを抜き取られた北朝鮮は崩壊するだろう。金正恩をアメリカにご招待するかもしれない。そうすれば、ことは簡単だが多分先方も警戒して乗ってこない。とにかく、戦争に至らない唯一の方法は金正恩逮捕しかない。
11月のトランプアジア歴訪では何も起きなかった。万一核戦争になる危機になれば、中国が侵攻するかもしれない。あるいは北内部のクーデターが起きるかもしれない。誰も金一族と死にたくはないはず。

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今年のNHK全国音楽コンクール中学校の部は1171校の参加で行われた。自分の子供は既に30歳代であり、中学生を見るのはとても懐かしい気持ちになる。もう我が子の受験の心配もないのだが、あの時代がとても懐かしい。

今日全国大会となり、課題曲はAKB48の秋元泰作曲の『願い事の持ち腐れ」という曲であった。奇妙な題だが、課題曲と自由曲で争われる。全国9ブロックを勝ち抜いてきた中学の大会である。中学校の部に興味を持つのは、中学時代は男子が声変わりの時期となり混成合唱が難しい。そこでNHKはこの中学の部は学生に興味を持たせるためにもポピュラーに近い曲が選ばれる傾向にある。昨日は高校の部の金賞が決まり、何と自分の住んでいる中野区の大妻学園高校が獲得した。急に親しみが湧き、今年はテレビ中継を見ることとした。この課題曲、君が君に歌う曲は既にyou-tube で見ることができる。

中学校の部がフィナーレというのも不思議。
このコンクールは戦前から続いており、合唱コンクールではトップであり、テレビ中継されるので盛り上がるし、皆さん多感な中学時代で全国大会に勝ち残ってきただけあり、これまでの苦労を思いだし、最後の全体合唱は涙涙である。2008年のアンジェラアキ作15の手紙、2012年のファイトは伝説のフィナーレ。やはり、女性合唱が多い。合唱は指導者の力量を問われるものがある。見ていて、地区大会を勝ち抜いてきただけあり、優劣つけ難い。ことしは、町田市の鶴川二中が金賞となった。同校では2014年度の第81回 Nコンで金賞を受賞し、翌年の第82回では再び金賞、2年連続での受賞となった。更に今年の金賞受賞となった。この他、全日本合唱コンクールでも複数回の受賞経験を持つ。学生数が799人のマンモス校で、合宿サークルのメンバーも集めやすいが、やはり指導者の力量だろう。
中野大妻中も立派だったが、高校が優勝したので金銀銅から外されたとおもう。一貫校の方が有利だろう。公立中学で金賞は素晴らしい。
今年は、AKB48の秋元氏の書き下ろし曲という異色の選曲で物議を醸した。学生はそんな上から目線の批判を横に懸命に歌っており、見る方は楽しく聞くことができた。結構公立の中学の参加があり、必ずしも学校の音楽クラブのメンバ〜に限らないチームも出ている。甲子園のようにセミプロ化した選手だけでないところが興味深い。このコンクールに注目したのは2012年東関東大震災後、特に、東北地区予選の中で、課題曲の「ファイト」という曲が中学生の心を打ち、休憩中も皆でこれを歌うというハプニングもあった。最後は課題曲を全員で歌い、参加者は涙に濡れるのである。学生も大震災の日本の苦難を思ったのか、また歌も良かったのである。自分もジンときた。
 しかし、今年はAKB48の出演となった。これが教育的ではないという学校関係者もいるかもしれない。最後を涙の合唱も良いが、Nコンだけでしか歌われない曲と違い、スペシャルステージで365日の紙飛行機も一緒に歌い、最終選考に来た中学生のサービスも必要、番組として視聴率を上げる工夫として評価したい。学校のコーラスは教員と学生の聖域だろうか。AKB48の演技と合唱もあったが、見ている人で模範演技と思った人はいないだろう。タレントの歌やダンスは学生の合唱とはあいいれない1。単なるおたのしみ。印象として今年のテーマは夢ということでそれにふさわしいフィナーレだったと思う。



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# by katoujun2549 | 2017-10-09 14:31 | Comments(0)
ナチス強制収容所の看守で戦犯になった人は多いが、実際 何万人も従事していたから、死刑になった看守はほんの一部である。入れ替わりもある。犬の世話係が処刑されていた。彼は証言や自白をリンチを受け、強制された。巨大な施設で、それぞれが、限られた役割を機械の歯車として、働いていた。直接、ガス室送りの選別にかかわった看守や、拷問や収容者の死を招いたものは血祭りになっている。東欧やソ連圏では男女問わず、公開処刑だった。残虐なリンチや暴行は収容者の中から選別された、カポが行い、親衛隊の監督者で権力に任せて暴行に加わったものはむしろ、率としては少ないだろう。ダッハウでは解放時に惨状を見て興奮した米兵が30人以上も銃殺した。銃殺された看守は最後まで残っていた連中で、悪辣なことにかかわった看守はさっさと逃げてしまっていた。戦争を生き延びたアウシュビッツの看守6500人の中で、判決が下されたのは50人未満。

Stutthof強制収容所裁判による
女性看守の処刑
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アウシュビッツ所長ルドルフヘスやクラマー、女性看守のマリアマンデルになれば、責任上死刑は免れないだろうが、イルマグレーゼあたりは、本当にサディスティックなことをしたかは不明だ。そもそも、ニュールンベルグ軍事法廷や東京裁判は法律的な正当性は疑わしい。しかし、政治的なショウとして、あの様な形態を取らざるを得なかった。人類始まって以来の大惨事だったのだから。断罪は必要だったのだが、戦争犯罪は戦勝国がわにもあった。

2015年2月 第2次大戦中にアウシュビッツ強制収容所でユダヤ人ら約17万人の虐殺に関与したとして、殺人ほう助罪に問われた元ナチス親衛隊(SS)のラインホルト・ハニング被告(94)の公判が11日、ドイツ西部デトモルトの地方裁判所で始まった。ドイツのメディアが伝えた。 ハニング被告はアウシュビッツで勤務していた事実は認めているが、虐殺への関与は否認しているという。検察側は、ハニング被告がアウシュビッツで看守として勤務し、1943~44年にナチスによる組織的な虐殺を手助けしたとしている。ドイツではナチスは犯罪として責任追及が今も続き、彼は禁錮4年の実刑判決を言い渡された。
彼にしてみれば何と運の悪いことと嘆くだけだ。アイヒマンですら、無罪になると思っていたという。
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ドイツはナチス犯罪に関しては時効が無い。ナチスを犯罪集団とすることによって国家の生き残りを図ったのである。ナチスを支持したのは国民であり、戦争行為に関しては一体となったのであった。ナチズムに反省しているのかと思いきや、意外にそうでもなかったし、戦後の経済復興とともに忘却すべきというような風潮もあった。1960年のアイヒマン裁判でも、センセイショナルではあったが、ドイツ国民がナチスズムを他人事にしたがる傾向にあった。しかし、1973年のアメリカのテレビドラマ、ホロコーストはドイツ人にも大きな衝撃を与えた。ユダヤ人迫害の実像は世代を超えて伝えられたのである。その前に1956年アウシュビッツ看守を断罪した裁判は困難を極めた。多くの証拠が隠滅されたからである。また、絶滅収容所が共産圏にあって資料が集め難かった。ネオナチや旧ナチスの生き残りも彼らの復権を狙っていた。何を今さら、そこまでやらなくとも、という世論や
マスコミとの戦いがあった。その最大の犯行は民族絶滅であり、これは隠され歴史修正主義者がホロコーストは無かったと反撃し始めたのである。イスラエルにおいても、ユダヤ人の絶滅収容所は不名誉なことと、語りたがらない事柄で、むしろ、ワルシャワのゲットーの蜂起を賞賛していた。しかし、ローゼンタールなどの執拗なナチス犯罪の摘発によって、再び過去を振り返り、国際世論に訴えるようになったのであった。イスラエルはパレスチナとの4次に至る中東戦争でそれどころでは無かった。ドイツは1956年に始められたアウシュビッツ裁判以降ナチスの犯罪性に向き合うことになる。このことは意外な感じがする。ナチスはニュールンベルグ裁判でナチス幹部のうち12人が絞首刑となり、また、ポーランドやチェコなどの占領地でも裁判が行われ、収容所幹部などが裁かれた。ニュールンベルグ裁判以前1946年代にも戦犯が処刑された。また、アメリカによって継続裁判が行われた。ところが、東西冷戦が始まると、ナチスの官僚たちはソ連と対抗するためにアメリカに利用価値を認められ、生き残って活躍していた。戦犯裁判の中では、曖昧な強制収容所収容者の記憶、憎しみに満ちた偽証による冤罪も多かった。チェコやポーランドでドイツ人難民、20万人以上が虐殺され、また、ドイツ兵捕虜が米英軍の扱いの失策により100万を超える死者を出していた。被害者感すらあったのである。1944年以降ドイツの敗色が強まると、ヒムラーは絶滅収容所の稼働を止め、隠蔽工作を始めた。ユダヤ人も終戦交渉の人質や材料にしようとした。トレブリンカ、ソビブル、ベイジエツ、ビルケナウなどの絶滅収容所でのユダヤ人抹殺の証拠は隠滅された。そのため、ガス殺は無かったという主張も生まれた。絶滅収容所はドイツ国外にあり、ドイツ人の意識には上がり難かった。収容所の看守や従事者の数は膨大で、アウシュビッツだけで6000人から8000人もいた。オーストリアのマウトハウゼンではガス殺も行われた。末期には収容者を移動させ、それによって多くが殺された。しかし、彼らの隠蔽工作は、あまりにも膨大な事実の前に隠せるものでは無かった。幾つかの資料が発見されたからである。ドイツ人らしく、几帳面に記録したために、彼らの蛮行はわずかな資料でも十分証拠になるものであり、続々と発見された。また、収容者の生き残りもいたのである。マウトハウゼンは絶滅収容所ではなかったが、ガス室が設置されていた。ここでガス殺された囚人の数は、後のヴェストファーレンでのハーゲン裁判などの調査によると3500人程という。また付属収容所のグーゼン強制収容所にもガス室が設置されていた。絶滅収容所ではないので、ユダヤ人やロマなど人種を理由にしたガス殺は少なく、主にソ連軍の捕虜やチェコ人・ポーランド人などの反体制分子、病人、労働できなくなった者などだった。ここでも1万人につき400人の看守がいて、多い時では看守や様々な職についていた人数は5000人を超えた。証言から看守による暴行や虐待行為も覆い隠すことはでき無かった。この強制収容所裁判では、選別にかかわったかどうかが刑の軽重に関係している。暴行や残虐行為は人が見ていないところでは行われることも多いから、証拠もないのである。大体、収容者は生き延びるのに精一杯で、制服を着た似たような姿の隊員を名前から覚えるのは困難。だから、特別酷い看守や美人は標的になった。
しかし、今ではダッハウの人間の皮膚のランプシェードや、人体の油で作った石鹸、アウシュビッツの死者300万人は嘘である。しかし、それでも150万人という膨大な数は殺されている。その責任を看守達が負わされたのはいかにも気の毒だ。ナチス信奉者のヨーゼフメンゲレはアルゼンチンで、スコルツィーニなどはエジプトで軍事指導者で生き延びた。V2号を開発したブラウンもNASAの創設で、ミサイルや宇宙開発に貢献した。それに対して、歯車に過ぎなかった強制収容所の看守達は惨めだと思う。

映画 戦場のピアニスト ゲットーのユダヤ人カポだが、
彼らも結局はトレブリンカに送られた。
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# by katoujun2549 | 2017-09-28 17:42 | Comments(0)